1972年 - 1975年
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「西城秀樹」の記事における「1972年 - 1975年」の解説
1972年3月25日発売のシングル『恋する季節』で歌手デビュー。8月8日、東京・郵便貯金ホールにてファースト・コンサート『ワイルドな17歳』を開催。同年11月に発売された1stアルバム『ワイルドな17才』のB面3曲目「母と子の絆」は、この年ポール・サイモンが世界的に大ヒットさせたシングルを西城が訳詞したもの。12月4日、『夜のヒットスタジオ』に初出演。日本レコード大賞の第14回最優秀新人賞候補は11月26日の部門賞で5組を選出した。結果、森昌子(37票)、三善英史(36票)、麻丘めぐみ(27票)、郷ひろみ(20票)、青い三角定規(20票)に、僅か1票差の19票に終わり惨敗、選に漏れた。 1973年3月26日、大阪毎日ホールでデビュー1周年記念コンサート『ヒデキ・オン・ステージ』を開催。9月24日、『ちぎれた愛』が「新御三家」の中では初めてとなるオリコン1位(47.5万枚)を獲得。これは70年代デビューの男性アイドルでも初のオリコン1位であった。11月、「ヒデキ、感激!!」でお馴染み「ハウス バーモントカレー」のテレビ広告が放送開始。12月31日、『第15回日本レコード大賞』歌唱賞を獲得するも、初出場が確実視された『第24回NHK紅白歌合戦』は落選。 1974年1月16日 - 10月9日、ホームドラマとして人気を博したTBS系列テレビドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演。 1974年8月3日、スタジアムでのワンマン・コンサートを、大阪球場で (以降10年連続、後楽園球場では1978年から4年連続で) 開催。10月6日、広島郵便貯金ホールにて凱旋コンサート『バック・ホーム・アゲイン・ヒロシマ』を開催。12月31日、「傷だらけのローラ」で2年連続となる『第16回日本レコード大賞』歌唱賞を受賞。『第25回NHK紅白歌合戦』初出場。 1975年1月30日、第12回『ゴールデン・アロー賞』でグラフ賞を受賞。2月15日、西城の初の海外進出作品として「傷だらけのローラ」のフランス語バージョン「LOLA」が、フランス、スイス、ベルギーで発売され、3月31日に発売されたカナダでは、ヒットチャート第2位にランクされた。5月、3月31日より放送開始の『寺内貫太郎一家2』で、番組名物小林亜星との乱闘シーンの撮影中、腕を骨折。6月6日 - 9月26日、TBS系列のテレビドラマ『あこがれ共同隊』で、郷ひろみ、桜田淳子らと共演。6月13日公開の松竹映画『おれの行く道』に主演。6月29日、『第4回東京音楽祭』国内大会に出場。「LOLA」を熱唱し、ゴールデン・スター賞を受賞。 1975年7月20日、富士山麓緑の休暇村の特設ステージにて日本歌謡史上初の大規模野外コンサートを開催。これを皮切りに、『全国縦断コンサートツアー』をスタートさせる。8月24日、大阪スタヂアム(大阪球場)にてエンディング・フェスティバル。1975年10月10日、このツアーを追って撮影されたドキュメンタリー映画『ブロウアップ ヒデキ(BLOW UP!HIDEKI)』が公開上映される。11月3日、日本人ソロ歌手としては初めての日本武道館公演を行う(以降1985年まで11年連続で開催。)
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