1970年代後半・冬の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:02 UTC 版)
「高速バス」の記事における「1970年代後半・冬の時代」の解説
1970年代後半は、新幹線などの鉄道輸送網が所要時間などの面で優位に立ち、近距離ではモータリーゼーションによるマイカーへの転移が進み、その上2度にわたるオイルショックの影響も重なり、高速バス路線の運営が硬直化していったこともあって、本州の高速バスにとっては厳しい時代を迎える。 東名急行バスの事業撤退(1975年(昭和50年)3月限り、会社自体が廃業) 日本急行バス・日本高速自動車の両社が、沿線合弁事業会社から単一企業系列会社(前者は名古屋鉄道系、後者は近畿日本鉄道系)へ転換した。さらに再編が行われ、前者は名古屋観光日急〜名鉄観光バスを経て、現在は名鉄バスに移管された。また後者は、中部地区の近鉄系路線バス会社と合併し名阪近鉄バスに改称された後、同じ近鉄グループである三重交通と経営統合した(三重交通グループホールディングス傘下へ)。 名神ハイウェイバス名神茨木〜神戸間運行休止(1977年) ドリーム号東京〜神戸間運行休止(1977年) 国鉄自動車局のハイウェイバス拡大中止(1975年の中国ハイウェイバス開業で国鉄姫新線乗客が減少したことで自動車局に圧力がかかった) 1975年(昭和50年)の中央自動車道恵那山トンネル開通により、名古屋〜飯田間に中央道特急バスが運転を開始するなど、一部では新たな路線も開設された。 1978年に北陸自動車道新潟黒埼IC〜長岡IC間が開通したことにより、新潟〜長岡間に地方都市間高速バスが運転を開始。高速バス銀座となる路線が、このころ開設された。特にこの路線は、併走する信越本線や上越新幹線等、JR線(鉄道)の乗客を奪うほどの路線に成長しており、JR側がどちらかというと苦戦を強いられているところでもある。このためJRでは多数のトクトクきっぷを発売して対抗している。
※この「1970年代後半・冬の時代」の解説は、「高速バス」の解説の一部です。
「1970年代後半・冬の時代」を含む「高速バス」の記事については、「高速バス」の概要を参照ください。
- 1970年代後半冬の時代のページへのリンク