1550型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 00:58 UTC 版)
1927年に1551 - 1580の30両が新造された。製造は1551 - 1556・1563が日本車輌製造、1557 - 1562・1571 - 1580が汽車製造、1564 - 1570が藤永田造船所である。 京阪初の全鋼製車体を採用、車内座席を扉横がロングシートである他は転換クロスシート仕様とした。 車長は当時の京阪線における地上施設の制約から16,930 mmと短いものの、当時としては珍しい片運転台(3枚窓非貫通式)車両で同形式車を背中合わせに連結した2両固定編成で運用された。 窓配置はdD (1) 9D (1) 2(d:乗務員扉、D:客用扉、 (1) :戸袋窓)と変則的な配置となっており、客用扉は当初すべて手動であったが、1551 - 1554が1928年9月付で、それ以外は1929年9月付で連結面側のみ自動扉化された。これは、閑散駅での客扱いの便を考慮したもので、一旦連結面側客用扉をスイッチ操作で閉じた後、車掌と運転士の判断でホームの前後から駆け込んでくる乗客を受け入れてから手動でドアを閉じる、という取扱が一般に行われていたが故の変則配置であった。もっともこれは戦後、乗客数の増大で3両編成以上で運用されるようになるとそのままでは使用が困難となり、順次運転台寄り扉の自動扉化が施工されている。 また、本形式の連結器は当初すべて通常の並形自動連結器が装着されていたが、1933年から1935年にかけて2両固定編成化が実施された際に、他形式との連結の可能性のなくなった連結面間のものに限って遊間がなく、衝撃の少ない密着連結器への交換工事が実施され、乗り心地の改善が図られた。 当初の車体塗色はダークグリーン一色で、側面幕板部に「KEIHAN ELECTRIC RAILWAY COMPANY」とレタリングされ、床下両端に大きな排障器(カウキャッチャー)を装着しておりアメリカ合衆国のインターアーバンを彷彿させるものとなっていた。 主電動機(TDK-517A)・主制御器(ES-155A)は東洋電機製造製で、集電装置は当初2本ポールであったが、1932年にパンタグラフ化で東洋電機製造製C3が設置された。また、制動装置はWH社製M三動弁によるAMM自動空気ブレーキ(Mブレーキ)、空気圧縮機はWH社製DH-25 で、台車は住友製鋼所製 ST 78-34であった。なお、台車のイコライザ(釣り合い梁)は当初、弓形であったが、620 - 630はポール時代にU形に改造されている。
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