10・26事件以後とは? わかりやすく解説

10・26事件以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 06:51 UTC 版)

沈守峰」の記事における「10・26事件以後」の解説

デビュー同時に全国的な人気得た沈守峰は、デビュー前から大統領府招かれていた縁もあり、朴正煕宴会にしばしば沈守峰招き大統領府宴会は彼女にとっても大きな舞台になっていた。しかし、1979年10月26日宮井洞(クンジョンドン)の宴会場招かれ歌った沈守峰は、その場朴正煕暗殺事件1026事件)に巻き込まれることとなる。沈守峰怪我はなく取り調べでの証言行ったものの、当時時代的状況のため、放送活動禁止措置にあい、また、精神病院送られるなど、様々な圧力に耐えなければならなかった。歌手として活動できなくなった沈守峰は、1980年の映画『아낌없이 바쳤는데』に映画初出演主演キャスティングされ、映画主題曲サウンドトラックも自ら作った沈守峰復帰作として話題中心となったこの映画は、封切り後、観客5万人を突破する興行成績をあげ、香港輸出もされた。 また、1979年にはドラマ『순자의 가을』の主題曲サウンドトラック「순자의 가을」を自作自演した。この曲は、当初問題がなかったが、1980年全斗煥政権になると、曲名大統領夫人李順子)の名前「スンジャ」が入っているという理由放送禁止措置になった1980年2月大学卒業日本デビュー1980年5月、「クッテ クサラム」を石坂まさを訳詞による「あの時あの人」のタイトルRVCレコードから発売した1983年には、後輩歌手バンミ(朝鮮語版)が、「순자의 가을」を「올 가을엔 사랑할거야」と改め歌詞一部修正して歌い人気集めた1984年には、この曲の放送禁止措置解除されると、それを埋め合わせるように、「올 가을엔 사랑할거야」という曲名レコード再録音なされた1984年歌謡界復帰した後、彼女は家庭問題沈滞期陥ったが、自ら作詞作曲した「ナムジャヌン ペ ヨジャヌン ハング」が収録されアルバム猥褻かどうかといった議論出たにもかかわらず2万余りの売利上げ記録し沈守峰は再び全盛期迎えた。 しかし、1985年発表したムグンファ(무궁화)」(「ムクゲ」の意)は、ヒットもしたが、歌詞時代状況の下で国民扇動する意図があると見なされ、一日放送禁止措置になった沈守峰は、他の歌手よりも数多く直接的な政治的弾圧を受け、歌手活動支障受けた自身経験音楽表現し大衆耳目を集めるような悲しく切ない曲を数多く歌った

※この「10・26事件以後」の解説は、「沈守峰」の解説の一部です。
「10・26事件以後」を含む「沈守峰」の記事については、「沈守峰」の概要を参照ください。

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