72-10
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 09:57 UTC 版)
「1995-1996シーズンのNBA」の記事における「72-10」の解説
前季約18ヶ月ぶりにNBAに復帰したマイケル・ジョーダンにとって、プレーオフ・カンファレンス準決勝での敗退は、ブランクの重さと時代の流れを痛感させられた出来事だった。ジョーダンは試合終盤の重要な場面で、かつては何度も決めたクラッチシュートを尽く外し、若いオーランド・マジックに完敗を喫してしまったのである。ジョーダンはシーズン平均26.9得点をあげるなど復帰直後からリーグトップクラスの数字を叩き出していたが、すでに32歳。1年半のブランクと年齢という壁には、さしものジョーダンでも容易く越えられるものではなかった。 しかしジョーダンは大変な負けず嫌いだった。このオフ、ジョーダンはかつてない程の猛練習をしたという。そしてメジャーリーグ用に慣らしていた肉体をバスケット用の、トップの座を取り戻すための肉体に作り変えることに成功。またNBAでの感覚を取り戻すために、プライベートではチームメイトのスコッティ・ピッペンや、レジー・ミラー、シャキール・オニールらという非常に豪華な選手を練習相手として呼び寄せた。 ジョーダンが黙々とトレーニングに励む中、シカゴ・ブルズも3年ぶりの王座奪還に向けて大胆な人事を行った。劇薬デニス・ロッドマンに手を出してしまったのである。デトロイト・ピストンズ時代はリーグ最高のディフェンダーとして活躍したが、"バッドボーイズ"解体後に移籍したサンアントニオ・スパーズでは彼の破天荒な性格が災いしてチーム内で浮いた存在となり、いつしか厄介者と見られるようになっていた。そしてこのオフに、ウィル・パデューとの交換、ほとんど無償と言えるトレード内容で、ブルズにやってきたのである。ロッドマンと言えばその性格以前に、ブルズにとっては80年代に散々苦しめられた"バッドボーイズ"の一員である。ピッペンなどはロッドマンに罵られた上にコート外に突き飛ばされ、顎を縫う怪我まで負わされている。果たしてこのロッドマンがブルズで機能するのか、大きな注目が集まった(なお、このシーズンのブルズにはロッドマン、ジョン・サリー、ジェームス・エドワーズの元"バッドボイーズ"3選手が所属していた)。 ジョーダンがこのオフに積んだハードトレーニングの成果は、開幕戦から発揮された。この日ジョーダンはシャーロット・ホーネッツに対し42得点を記録。このジョーダンの活躍がその後に続く快進撃の狼煙となった。ブルズは序盤を10勝2敗の好スタートを切ると、11月末からは並み居る敵たちを蹴散らし、約2ヶ月を31勝1敗と猛烈な勢いで勝ち続けた。 懸案だったロッドマンは審判に頭突きをして6試合の出場停止処分を受けたところは相変わらずだったが、フィル・ジャクソンHCに対しては敬意を払うようになり、そして難解なトライアングル・オフェンスもすぐに理解し、彼のリバウンド力とディフェンス力はチームに大きな貢献を果たした。またジョーダン不在のブルズをエースとして支えていたスコッティ・ピッペンは、スリーピート時代よりもさらに一皮向けており、ジョーダンにも「ブルズはピッペンのチーム」と言わしめるほど高いリーダーシップを発揮した。そしてジョーダンはリーグ最高の選手としての姿を取り戻したが、しかし彼のプレイスタイルにはスリーピート時代と比べて変化が見られ、恵まれた身体能力を活かした強烈なスラムダンカーから、フェイダウェイジャンプショットなどを駆使する技巧的なジャンプシューターに生まれ変わっていた。ジョーダン、ピッペン、ロッドマンのトリオは実力も話題性もNBA史上屈指であるビッグスリーとなり、リーグを席巻した。 ブルズはサポーティングキャストも充実していた。スリーピート時代を支えたホーレス・グラント、ビル・カートライト、ジョン・パクソン、B.J.アームストロングはすでに去り、ジョーダンとピッペン以外のメンバーは様変わりしていた。多彩な才能を持ったオールラウンドプレイヤーでクロアチア出身のトニー・クーコッチはこのシーズンのシックスマン賞に選ばれ、またスティーブ・カーはパクソン、アームストロングに代わる3Pシューターとしてこのシーズンは3Pシュート成功率51.5%という高い数字を記録し、リーグ全体でも2位の成績だった。クリーブランド・キャバリアーズ時代はブルズに散々に煮え湯を飲まされてきたロン・ハーパーは前季よりブルズに移籍し、優れたディフェンダーとしてジョーダンと共にブルズのペリメーターを守り、センターのルーク・ロングリーはスクリーナーとして主力選手たちを助けた。 ブルズは2月にこのシーズン唯一の連敗を喫するも、その後も勢いは止まることを知らず、4月14日のキャバリアーズ戦ではついに当時のNBA記録である、ロサンゼルス・レイカーズが1971-72シーズンに記録した69勝に並んだ。そして2日後のミルウォーキー・バックス戦では、NBA史上初となる70勝に到達。その後もさらに2勝を上積みし、ブルズがこのシーズンに積み上げた勝ち星は72までに上った。72勝10敗はもちろんNBA新記録である。 ジョーダンは30.4得点を記録し、見事に8度目の得点王に返り咲き、ウィルト・チェンバレンの持つ7回の得点王記録を更新した。オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームにも選出され、そして72勝という空前絶後の勝ち星をあげたチームのエースとして、自身4度目となるMVPも獲得した。またピッペンもオールNBA1stチーム、ディフェンシブ1stチームに選べれ、さらにロッドマンも5年連続のリバウンド王とディフェンシブ1stチームに名を連ねたことから、ブルズには当時リーグ最高峰のディフェンダーが3人も在籍していることになった。ブルズのこのシーズンの平均失点は92.9得点でリーグ3位、平均得点は105.2得点でリーグ1位だった。またジョーダンはオールスターMVP、フィル・ジャクソンは最優秀コーチ賞、ジェリー・クロウゼ球団社長はエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーにそれぞれ選ばれ、このシーズンのNBAは正にブルズ一色のシーズンとなった。
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