鴨方町六条院中とは? わかりやすく解説

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鴨方町六条院中

読み方:カモガタチョウロクジョウインナカ(kamogatachourokujouinnaka)

所在 岡山県浅口市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒719-0252  岡山県浅口市鴨方町六条院中

六条院 (浅口市)

(鴨方町六条院中 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 01:01 UTC 版)

日本 > 岡山県 > 浅口市 > 六条院 (浅口市)
六条院
ろくじょういん
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
自治体 浅口市
旧自治体 六条院町
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鴨方町六条院中
浅口市役所
日本
都道府県 岡山県
市町村 浅口市
行政地区(広域) 鴨方
行政地区 六条院
郵便番号
719-0252
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鴨方町六条院東
日本
都道府県 岡山県
市町村 浅口市
行政地区(広域) 鴨方
行政地区 六条院
郵便番号
719-0254
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鴨方町六条院西
日本
都道府県 岡山県
市町村 浅口市
行政地区(広域) 鴨方
行政地区 六条院
郵便番号
719-0251
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鴨方町鳩ヶ丘
日本
都道府県 岡山県
市町村 浅口市
行政地区(広域) 鴨方
行政地区 六条院
郵便番号
719-0253
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六条院(ろくじょういん)は、岡山県浅口市の地域である。同市の市役所が所在する。また、旧鴨方町の役場も所在した。

鴨方町六条院東(かもがたちょう ろくじょういんひがし)・鴨方町六条院中(かもがたちょう ろくじょういんなか)・鴨方町六条院西(かもがたちょう ろくじょういんにし)・鴨方町鳩ヶ丘(かもがたちょう はとがおか)の4大字・町丁からなり、同市新設以前には、六条院東(ろくじょういんひがし)・六条院中(ろくじょういんなか)・六条院西(ろくじょういんにし)・鳩ヶ丘(はとがおか)と称した。現在でも「六条院東」「六条院中」「六条院西」「鳩ヶ丘」とも呼称される。

ここではかつて存在した浅口郡六条院町についても述べる。鴨方町以前は浅口郡に属し六条院町と称し、それ以前は六条院東村六条院中村六条院西村であった[注釈 1]

郵便番号は六条院中が719-0252、六条院東が719-0254、六条院西が719-0251、鳩ヶ丘が719-0253[1]

鴨方駅

概要

浅口市の中西部、南は同市寄島町、西は浅口郡里庄町に接している。北部が平地、中部以南が山がちで、明王院山(泉山)が中央にある地区である。泉山を挟んで六条院東はおおむね東側の里見川支流・堅川以東、六条院西は同じく西側の同川支流・鳩岡川流域をおおむね占める[2][3]

北部の平地をJR山陽本線が東西に通過、鴨方駅が六条院中の地内にあり、駅前に町並ができている。国道2号が山陽線の南側を並行して通り、この付近が現在の浅口市および旧鴨方町の中心市街地で市役所(旧町役場)や郵便局などがある[3]

モモナシカキタバコ除虫菊を主要産物とした[4]が、現在は米、モモ以外は衰退[3]

六条院中の天台宗明王院[5]備中国一円の天台宗の総本寺とせられた名刹。他に同宗紫雲寺があり、生石(おんじ)部落に岡山女子短期大学があったが、現在は倉敷市へ移転、おかやま山陽高等学校が建設された[3]

六条院西に天台宗円珠院[6]がある。また、{{要出典範囲頓宮又次郎の居城と伝わる竜王山城は典型的な山城で、最後の備中国守護細川通董もこの城を修築して住んだという説がある|date=2025年3月}}。さらに、竜王山の西のふもとに残る五輪塔は頓宮又次郎の墓とされる[3]

現在、寄島町東部となっている安倉地区は、近世には六条院西村の枝村で、明治になり寄島村[7](のち寄島町)成立時に同村へ移管した[8]

沿革

歴史

ろくじょういんちょう
六条院町
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
六条院町、鴨方町 → 鴨方町
現在の自治体 浅口市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
浅口郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,763
(1950年国勢調査)
隣接自治体 {{{隣接自治体}}}
六条院町役場
所在地 岡山県{{{所在地}}}
ウィキプロジェクト
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古代、『和名抄』に見える大島(於保志磨)郷の北部にあたり、鴨方、地頭下などと共に古代の条里の跡が検出された。六条院中に古刹明王院[5]があり、また同村に四条原(しじょうら)という枝村もあった[3]

古くは浅口郡六条院村というひとつの村であったが、中六条院村東六条院村西六条院村に分かれる[9]。また、六条院の中村東村西村[9]とも呼ばれ、江戸時代の天保の検地帳にはそのように載っており、その頃には後者の村名を正式に名乗るようになっている[3]

この地方も中世は鴨方に居た細川氏の支配下にあり近世のはじめに毛利氏の進出を見たが、慶長5年幕府領に収められ、寛永9年には備前岡山藩に属し、池田政言寛文12年岡山新田藩(のちの鴨方藩[13]を創立すると共にその版図に移る。

『備中村鑑』[注釈 2]には、六条院中が高1301石9斗5升、六条院東が高611石9斗4升、六条院西が高943石1升とある。なお、一部は明王院[5]の所領となっている[3][8]

六条院中の南部、真止戸山(まつばさ)部落に同名の古社・真止戸山神社があり[18][19][20]寛文6年池田光政が領内の神社整理を行い、この地方の小社1万1554社を同社に集めて祀った[3]

明治に入ると、六条院西村枝村の安倉村[21]は1876年(明治9年)に浅口郡東大島村などと寄島村(のち寄島町)を新設[9]。1877年(明治10年)、浅口郡六条院中(四条原を含む)、六条院東、六条院西の3村が合併し、同郡六条院村を成立させた[9]が、1887年(明治20年)に分村し、元の3村に復した[9]。その後、1889年(明治22年)6月1日の町村制施行により、再び先の3村を合併し新たな六条院村と称し、村役場を六条院中に置く。1934年(昭和9年)の町制実施を経て、1955年(昭和30年)4月1日に鴨方町と合併して鴨方町を新設し、六条院中に役場を設置した[8]

六条院中の西端部から六条院西の北西端の地区に大型団地が造成され、新たな町丁として「鳩ヶ丘」1〜4丁目を設定した。町名は、この地の西方を流れる鳩岡川に由来する。

2006年(平成18年)3月21日、浅口郡鴨方町・寄島町・金光町の3町が合併し、浅口市を新設[22][1]。六条院中の旧鴨方町役場(1974年2月完成)が新浅口市役所となった[22]

地名の由来

条里に関係するという説[要出典]もあるが、実際は白河天皇が愛娘の媞子内親王の霊を弔うために平安京に建立させた寺院・六条院の所領(荘園)であったことが由来。鎌倉時代末期の『室町院所領目録』に「六条院領」の備中国大島保[23]と記されている[8]

年表

六条院地区の出来事
年月日 出来事
1876年明治9年) 浅口郡六条院西村枝村の安倉村が浅口郡東大島村などと合併し、同郡寄島村(のち寄島町)を新設。
1877年(明治10年) 浅口郡六条院中(四条原を含む)・六条院東六条院西の3村が合併し、同郡六条院村が成立。
1887年(明治20年) 六条院村が分村し、元の3村に復する。
1889年(明治22年)6月1日 町村制施行を受け、再び六条院中(四条原を含む)・六条院東・六条院西の3村が合併し六条院村と称し、村役場を六条院中に置く。
1934年昭和9年)7月1日 町制を実施、六条院町へ改称。
1940年(昭和15年) 教化町[24]に指定される。
1955年(昭和30年)4月1日 鴨方町と合体合併し、新しい鴨方町を新設。六条院中に役場を設置した[22]
2006年平成18年)3月21日 浅口郡鴨方町・寄島町・金光町の3町が合併し、浅口市を新設[22][1]。六条院中の旧鴨方町役場が新・浅口市役所となった。

著名な出身者

浅口郡(現浅口市鴨方町)出身の阿藤伯海(あとうはくみ=1894年2月10日-1965年4月4日)は中国文学者で漢詩人、地元では「はっかい先生」と呼ばれ、阿藤伯海記念公園[25]と生家が整備された[26]。加えて詩碑が六条院東に、句碑が小田郡矢掛町にある[26]

地勢

山岳

  • 泉山(明王院山)[27] - 標高221m
  • 竜王山[28]

河川

人口・世帯数等

主要施設

六条院中

公的施設

教育施設

福祉施設

  • 聖華保育所
  • サンパレス桃花
  • 浅口市いきがいセンター

郵便局

金融機関

交通機関

一般企業・商店

神社仏閣・その他宗教施設

  • 空幣稲荷神社
  • 真止戸山(まとべやま)神社
  • 向日神社
  • 明王院
  • 甘露庵
  • 出雲大社教山陽分院
  • 天理教鴨方分教会
  • 愛宕山大師教会
  • キリスト教鴨方教会

六条院東

一般企業・商店

神社仏閣・その他宗教施設

六条院西

史跡・公園

  • 浅口市阿藤伯海記念公園
  • 大簡阿藤伯海旧居

一般企業・商店

  • 岡山西農業協同組合四条原支店
  • 協成工業
  • 清水養鶏場

交通

道路

鉄道

関連の資料

出版順。

『新月』(六条院町:新月会、1946年6月)プランゲ文庫アメリカ議会図書館国立国会図書館書誌ID
029162302
  • 第1巻第1号「歌会」(1946年6月)
  • 第1巻第4号(1946年9月)-第5号(新月会、1946年10/12月)プランゲ文庫。
  • 『にじ』第2号(六条院中学校校友会文芸部、1948年12月)プランゲ文庫、マイクロフィッシュ版。
  • 鴨方町教育委員会(岡山県)『阿藤伯海』(鴨方町教育委員会、2005年) NCID BA73720354CRID 1130000796691632000。阿藤伯海の肖像あり。
  • 田中毅 農林省「岡山県(保)室迫負債整理組合 : 浅口郡六條院町」『産業組合と夫妻整理事業に関する調査』第74輯83頁(産業組合中央会〈産業組合調査資料〉、1939年)昭和14年、マイクロフィッシュ、インターネットで読める。doi:10.11501/1047213
  • 平井徹治『鴨方町誌』(鴨方町、1955年)インターネットで読める。
    • 「一、町出身者録」「二、鴨方町と六条院町との合併」

参考文献

脚注の典拠。主な執筆者、編者の順。

  • 岡山地名事典刊行会『岡山地名事典』巌津政右衛門 監修、日本文教出版、1974年。doi:10.11501/12191527国立国会図書館書誌ID: 000001213153 
  • 金光中学校 編『郷土教育資料草案』金光中学校、1934年。doi:10.11501/1457305 。インターネットで読める。創立40周年記念刊行。
    • 「六条院」の掲載箇所47件。以下を含む。
      • 落ち武者の伝承(コマ番号32)
      • 年表「中六条院村、東六条院村、西六条院村、六条院中村、六条院東村、六条院西村、寄島村」(コマ番号60)
  • 下中直也 編『岡山県の地名』 34巻、平凡社〈日本歴史地名体系〉、1988年4月。doi:10.11501/12194024NDLJP:12194024 全国書誌番号: 88035556、岡山県全図付録(地図1枚、袋入)。
  • 『岡山県道路地図』昭文社〈県別マップル〉、2013年。 
  • 花田一重 編『六条院町誌』六条院町、1949年。doi:10.11501/3008678NDLJP:3008678 個人送信サービス可。
    • 第2章 社寺
      • 第1節 眞止戶山神社、p.12-16
      • 第2節 明王院、p.17-
      • 第3節 円珠院、p.24-
      • 第4節 甘露庵、p.28-
      • 第5節 文珠坊、p.30-
    • 第3章 山の史蹟、p.32-35
      • 第1節 龍王山と瀨戸内海展望台、p.32
      • 第2節 泉山、p.35
    • 第4章 政治、p.36
      • 第5章 経濟、p.49
      • 第6章 社会、p.58
      • 第7章 宗敎、p.87
      • 第8章 敎育、p.94
      • 第9章 文学藝術、p.105
      • 第10章 交通運輸通信、p.129
      • 第11章 戶数人口、p.134
      • 第12章 地勢と景観、p.138
      • 第13章 氣象と天災、p.142
      • 第14章 人物、p.147
      • 第15章 町民性、p.182
      • 第16章 産業、p.184(第1節 農業林業、p.185。第2節 工業、p.192。第3節 商業、p.198)
      • 第17章 各種団体、p.199
    • 「付録 : 六條院略年表」202頁-、「植物目録」204頁-。
  • 治部田幸範、岡山県企画室 著「2 調査 : 農村及農家概況 岡山県浅口郡六条院町」、岡山県企画室 編『岡山県の農業事情』 其の3《地域別農業経営実態調査報告》、1948年。doi:10.11501/1157466国立国会図書館書誌ID: 000000847806publisher=岡山県。 マイクロフィッシュ。館内限定公開、遠隔複写可。

脚注

注釈

  1. ^ 鳩ヶ丘は、後年[いつ?]に大型団地造成に伴い六条院中および西より分割・新設されたものである[要出典]
  2. ^ 『備中村鑑』は朋寿館蔵梓[14]や復刻版[15][16]を含め、複数の図書館に収蔵がある。改版が多く内容の信ぴょう性を問う議論もある[17]

出典

  1. ^ a b c 岡山県 > 浅口郡鴨方町の郵便番号一覧”. www.post.japanpost.jp. 郵便番号検索. 日本郵便. 2025年3月2日閲覧。 “変更前の住所・郵便番号/変更日、郵便番号/市区町村/町域”
  2. ^ 『岡山県道路地図』 2013[要ページ番号]
  3. ^ a b c d e f g h i 巌津政右衛門 1974[要ページ番号]
  4. ^ 治部田 1948, pp. ロ1, 「3 調査農家の経済的地位§浅口郡寄島町報告書」
  5. ^ a b c 六条院町, 1949 & 第2章 社寺§第2節 明王院」, pp. 17-
  6. ^ 六条院町 1949, pp. 24-, 「第2章 社寺§第3節 円珠院」
  7. ^ 金光中学校 1934, pp. 60コマ, 年表
  8. ^ a b c d 下中 1988[要ページ番号]
  9. ^ a b c d e 金光中学校 1934, pp. 59コマ-, 「年表」
  10. ^ 鴨方藩『備中鴨方藩村明細帳』 CRID 1130282272279155072
  11. ^ 西村 圭子、西村圭子先生追悼論集編集委員会、村井 早苗、大森 映子『日本近世国家の諸相』(東京堂出版、1999年) ISBN 4490203829, 9784490204803, 9784490206487CRID 1130000794528960640
  12. ^ 藤尾 隆志『鴨方藩』(現代書館〈シリーズ藩物語〉、2021年) ISBN 9784768471593CRID 1130290061349181070
  13. ^ 『備中鴨方藩村明細帳』[10]。『日本近世国家の諸相』[11]。『鴨方藩』[12]
  14. ^ 渡辺 正利 編『備中村鑑』朋壽舘。 NCID BA51775716 、和装、袋綴。
  15. ^ 渡邊正利 編『備中村鑑』 上、下(復刻)、内外印刷出版部、福山、1983年1月。国立国会図書館書誌ID: 33111009810490047 原書は朋寿館の発刊(文久元年)、和装。71丁、19cm。
  16. ^ 検索詳細画面『備中村鑑』” (PDF). www.i-repository.net(東京大学経済学図書館). 準貴重図書デジタルアーカイブ [経済学部資料室]. 2025年3月2日閲覧。
  17. ^ 片山 新助「改版を重ねた『備中村鑑』– 内容に多くの疑問点」『倉敷の歴史』第14号、2004年3月31日、70-74頁、国立国会図書館書誌ID: 1390574290249520896 
  18. ^ 金光中学校 1934, pp. 17コマ, 目次「六条院町:二、眞止戶山神社 86頁」
  19. ^ 金光中学校 1934, pp. 86-87(72コマ), 「六条院町 §2 眞止戸山神社昭和六年郷社となる(後略)」
  20. ^ 金光中学校 1934, pp. 付録11頁(180コマ), 巻末:諸一覧「浅口郡における神社一覧」社名:眞止戸山神社、郷社、六条院中、祭日:10月19日」
  21. ^ 金光中学校 1934, pp. 94-97(76-77コマ), 「寄島町 §7 寄島新開:鳴滝新開、同上(天保10年)、高渕富造(安倉)」
  22. ^ a b c d メディア・協力課: “七十八市町村時代—鴨方町”. digioka.libnet.pref.okayama.jp. 岡山県立図書館. 2025年3月2日閲覧。 “《ご参考》デジタル岡山大百科を使えば、さらに関連情報を調べることができます。”
  23. ^ 倉敷市史研究会 編「鎌倉時代の備中国郷保 §大島保」『新修倉敷市史』 第2巻《古代・中世》、倉敷市、1993-1999.3 エラー: 日付を year と date に分けずに date にまとめて記入してください。doi:10.11501/13197632国立国会図書館書誌ID: 000002797669 
  24. ^ 5 教化町村の指定及指導」『原論篇』 24巻《社會教化運動》、成美堂〈現代教育学大系〉、1936年-1940年。doi:10.11501/1071228国立国会図書館書誌ID: 1071228https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10712282025年3月2日閲覧 館内限定公開
  25. ^ 定金 恒次「その人と文学 没後の顕彰(詩碑・顕彰碑;阿藤伯海記念公園;『大簡詩草』;『詩礼伝家』;柴田錬三郎の賛辞と小説への引用;講演会等による顕彰) 「BOOKデータベース」 より」『阿藤伯海の世界』316号、日本文教出版〈岡山文庫〉、2019年。 ISBN 9784821253166NCID BB29131817 
  26. ^ a b 岡山県立図書館(2110029): “質問:旧鴨方町出身の人物・阿藤伯海(あとうはくみ)について知りたい。”. レファレンス事例詳細. レファレンス事例詳細 > 管理番号:M07112513061906. 国立国会図書館 (2007年11月25日). 2024年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月2日閲覧。 “浅口郡六条院村(現浅口市)出身の教育者、漢詩人。1894(明治27)年2月10日–1965(昭和40)年4月4日。(略)狩野直喜に経学を学ぶ。その後、法政大学、第一高等学校で教鞭を執り、高木友之助(中国文学者)や清岡卓行(作家)らを教えた。1944(昭和19)年、職を辞し郷里に帰る。(略)没後、教え子らによって漢詩集『大簡詩草』が刊行された。”
  27. ^ 六条院町 1949, p. 35, 「第3章 山の史蹟§第2節 泉山」
  28. ^ 六条院町 1949, p. 32, 「第3章 山の史蹟 §第1節 龍王山と瀨戸内海展望台」
  29. ^ 六条院町 1949, pp. 138-, 「第12章 地勢と景観」

関連項目

外部リンク



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