高畠五郎
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高畠 五郎(たかばたけ ごろう、文政8年5月5日(1825年6月20日) - 明治17年(1884年)9月4日)は、幕末・明治の蘭学者。西洋兵学、砲術を研究。姓は源、幼名玖二五郎。維新後、眉山。諱は道憲。高畠耕斎の弟。父は阿波国の蘭方医・徳島藩藩医の高畠深造。母は斉藤氏鷹。
- ^ 伊東玄沢家塾象先堂の門人姓名録(「伊東玄朴伝」7頁)より。同藩宮崎友三郎が請負人。
- ^ 佐久間象山門人帳「及門録」嘉永3年の条に「松平阿波守様御家来高畠五郎」とある。
- ^ 蕃書調所職員明細帳
- ^ 田村維則『勝海舟伝』
- ^ 「シーボルト先生其生涯及功業」156~216頁、『福澤全集』7巻43頁
- ^ 成島柳北の『航西日乗』(明治文化全集第16巻、434~439頁)
- ^ 外部リンク参照(「トミー 立石斧次郎 長野桂次郎 をひ孫が紹介 HOWDY TOMMY」)
- ^ 『福翁自伝』 - 「攘夷論」 - 「英艦来る」その手紙の来たのがその歳の二月十九日、長々とした公使の公文が来た。その時に私共が翻訳する役目に当っているので、夜中に呼びに来て、赤坂に住まっている外国奉行松平石見守の宅に行ったのが、私と杉田玄端、高畠五郎、その三人で出掛けて行って、夜の明けるまで翻訳したが、これはマアどうなることだろうか、大変なことだと窃に心配した…
- ^ 『福翁自伝』 - 「雑記」 - 「暗殺の心配」ある日、本郷に居る親友高畠五郎を訪問していろいろ話をしている中に、不図気が付いてみると恐ろしい長い刀が床の間に一本飾ってあるから、私が高畠に向かって、あれは居合刀のようだが何にするのかと問えば、主人の言うに、近来世の中に剣術が盛んになって刀剣が行われる、ナニ洋学者だからといって負けることはない、僕も一本求めたのだとリキンデいるから、…
- ^ 『福翁百餘話』 - 「禍福の発動機」この時に当り阿波藩の一友(しかと覚えざれども高畠五郎なりしと思う)余に告げて、足下は試に我藩の主人公に面会する気はなきやと云うに答え、僕は従前自分の藩に居てさえ藩主へは唯一両度例の御目見したるのみにて親しく談話せしことなし、全体僕の生来大名は嫌にて、誰れにも余り多く面会せざれども、…
- ^ 明治13年のみ(子孫所蔵)
- ^ 幕末洋学史の研究、332頁
- ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、56頁
- ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、263頁
- ^ 1880年(明治13年)刊行。原著者はオランダ人、ボール・チュガル。
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