穂積清軒とは? わかりやすく解説

穂積清軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 21:31 UTC 版)

穂積 清軒(ほづみ せいけん、天保7年(1836年)正月 - 明治7年(1874年8月29日)は、幕末から明治期の三河吉田藩士、幕臣蘭学者教育者。清軒は隠居後の号で、通称は清七郎、は英哲。


  1. ^ 隠し置いていた文典の表紙に「団子ハ喰ヘルガ、蘭語ハ喰ヘヌ」と落書きする者までいたという。
  2. ^ 妻の実家である匝瑳郷輔の主人、旗本の大久保駿河守から借家した。
  3. ^ 村井清(村井弦斎の父)が従軍したふりをして幕軍の背後を突く案を主張したところ、清軒は刀に手をかけてこれを沈黙させたという。
  4. ^ 清軒は一人で大坂城へ上り、討ち死にする覚悟であったが、児島閑窓(時習館で教鞭をとった儒者、尊王論者)に諭された。
  5. ^ ビートン夫人The Book of Household Management の抄訳を行っており、死後『家内心得草』として出版された。


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