高松宮杯 - 死亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:58 UTC 版)
「ハマノパレード」の記事における「高松宮杯 - 死亡」の解説
続いて6月24日、高松宮杯に2番人気で出走。このレースでも1番人気の天皇賞馬・ベルワイドを相手に、宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進んでいた。そのまま最後の直線に入り、2番手のタケデンバードを突き放したが、残り200メートルの地点で芝に脚をとられて、前のめりに転倒。競走を中止した。ハマノパレードは左第一関節脱臼および左第一指節種子骨粉砕骨折を発症しており、競走後に予後不良の診断が下された。同日、高松宮杯が行われた中京競馬場で安楽死と伝わる。 ただし死については異論も存在する。同日安楽死説は、この項において、大川慶次郎他が記した1999年に発行の『サラブレッド101頭の死に方』に拠ったが、スポーツニッポンの船曳彦之丞は、翌25日に名古屋市の食肉検査場に移動した後に殺処分され、食肉となったと主張している。船曳が記した1973年7月5日『スポーツニッポン大阪版』5面によれば、名古屋食肉卸売業組合事務員が「めずらしく馬1頭を落としました。(中略)やさしそうな顔をした栗毛の馬」と証言。さらに「栗毛の馬」の肉を同日中に「シャムネコ組合などがエサ用として買い取っていった」という証言から、船曳は「栗毛の馬」がハマノパレードであると連想、そのうえで「ハマノパレードは屠殺され、食肉となった」という論理を展開した。また青木孝三は、船曳の主張を「事実」「実話」であると捉えたうえで、同25日の食肉市場の掲示板に「さくら肉『本日絞め』・400キログラム」という表示があったと紹介している。しかし船曳や青木は、屠殺場でハマノパレードを処分したことについては言及していても、「栗毛の馬」や「本日絞め」のさくら肉が、ハマノパレードであるという直接的な言及はしていない。以下のような記述に留めている。 同馬は競馬会のワゴンに乗せられ、静かにファンの前から姿を消していった。行く先は名古屋市某所にある処理業者のO商店…へ。(中略)二十四日を同馬はO商店で過ごし(中略)二十五日の朝、同馬は名古屋・食肉検査場へ移され、そこで処分されたようだ。翌二十六日付、名古屋地区毎日新聞経済面6面の左下すみ「食品卸売相場」の欄。和牛、乳牛、ブタ、キロ当たり×××円(中略)その一番下には何カ月ぶりかで「馬三七〇円」とあった。(中略)前後数日は馬の相場は立っていず、ただこの日と翌日に相場ができていただけ。それはまさしくハマノパレードの"相場"ではなかったろうか。 — 船曳彦之丞 翌朝愛知県近郊の屠殺場へ送られて行った。その日のうちに食肉市場では"さくら肉"として売りさばかれた。(中略)船曳彦之丞(中略)は美化報道されていたハマノパレードの死に疑問を投げかけ、真正面からこの事実をとらえた。(中略)昭和48年6月25日、食肉市場の掲示板には、白墨でこう記されていた。"さくら肉・「本日絞め」・400キログラム"——、実話である。 — 青木孝三
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