リンドプルバン
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リンドプルバン(1976年3月19日 - 2004年12月6日)は日本の競走馬、乗用馬。日本ダービーで、大きな不利を受けながらハナ差の2着になったことで有名。ほかには高松宮杯や鳴尾記念に勝っている。 リンドプルバン 血統 ハリーオン系 性 牡 *プルバン1969年 栗毛 イギリス Sheshonn Precipitation 毛色 鹿毛 Noorani 生年 1976 Devastating Honeyway 生産地 北海道・三石町 Fascinating 生産者 米田牧場 ムーンクローバ1965年 鹿毛 日本 ハクリョウ プリメロ 馬主 株式会社デルマークラブ 第四バッカナムビューチー 調教師 三上恒芳 ミスキンカ ヒンドスタン 成績等 35戦5勝 第弐ミカヅキ F-No.- 2〜6歳時35戦5勝 主な勝鞍 高松宮杯、鳴尾記念、日本ダービー2着 リンドプルバンは、後にリンドシェーバーやエーピーインディで日米のG1競走を勝つ鶴巻智徳がデルマークラブの名義で走らせた競走馬である。 リンドプルバンは抽せん馬で、2歳の6月になって新馬戦のシーズンが始まると同時に出走した。しかし、2歳時は10戦して最良の着順が3着まで、3歳になって3戦目でようやく初勝利をあげた。春に2勝目をあげ、4月末の条件戦を5馬身差で勝ち上がると日本ダービーに出走した。 この年のダービーは大本命が不在で人気が割れており、リンドプルバンも条件戦を勝ったばかりながら、他の有力馬と未対戦の未知の魅力から26頭中8番人気となり「第二のタケホープ」とも言われた。最後の直線でリンドプルバンは一番内側からほぼ先頭へ抜けだしたが、テルテンリュウとカツラノハイセイコの2頭が一番外側から大きく斜行してリンドプルバンの進路を塞ぐ形になった。リンドプルバンはほぼ立ち上がる格好になる不利を受けたが、残り50メートルで進路を確保して再び追い上げ、先頭のカツラノハイセイコに並んだところがゴールだった。斜行の加害馬のうち、テルテンリュウには先着していたことと、もう1頭の加害馬であったカツラノハイセイコにもゴール手前で逆転寸前にまで追い上げたため、両馬は失格とはならなかった(審議の実施の有無については不明)。10分ほどにも及ぶ長い写真判定の末、カツラノハイセイコが優勝、2着リンドプルバンとの着差はハナ差と発表された。走破タイムは当時のレコード記録になった。 リンドプルバンは菊花賞や有馬記念にも出走したが、1年ほど勝鞍がなく、4歳の春に鳴尾記念(2400メートル)でようやく重賞に勝った。続く天皇賞(春)では2番人気に支持されたが、混戦の9着に敗れた。この年の夏に高松宮杯(2000メートル)に優勝して重賞2勝目としたが、これが最後の勝鞍となった。その後、6歳まで走って引退した。 引退後は、中山競馬場内の中山乗馬クラブで乗馬、誘導馬となり、その後はJRA日高育成牧場で余生を過ごした。2004年に心不全のため死亡した。
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