リンドバーグ夫妻の北太平洋航路調査と来日
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「チャールズ・リンドバーグ」の記事における「リンドバーグ夫妻の北太平洋航路調査と来日」の解説
リンドバーグ夫妻は1931年に、パンアメリカン航空から依頼された北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカ州を経て、日本と中華民国までロッキード・シリウス(英語版)水上機「チンミサトーク(英語版)(イヌイットの言葉で『大鳥』の意)」で飛行した。 途中8月23日 には日本の千島列島を伝って北海道へ到達した。根室に2日間滞在後、26日霞ケ浦へ飛来。フォーブス駐日米国大使、安保清種海軍大臣、杉山元陸軍次官、小泉又次郎逓信大臣ら日米の政府高官や海軍関係者など約1000人が出迎え、国内外からの取材陣は200人を超えた。同日列車で東京へ向かい、聖路加病院トイスラー院長邸に滞在、以後トイスラー邸が東京における夫妻の拠点となる。27日から31日まで多数の歓迎式典や表敬訪問をこなし、9月1日から4日までフォーブス大使の軽井沢別荘で休養。5日は日光を周遊し金谷ホテルで1泊、6日に東京へ戻った。7日以降も各種行事の合間を縫って、チャールズは逓信省航空局で飛行計画の打ち合わせや、霞ケ浦で愛機の点検と試運転など出航準備を進め、アン夫人は博物館の見学や茶道・華道の体験などをして過ごした。13日大阪へ飛来後、自動車で京都に入洛し、都ホテルに宿泊。14日から16日にかけて府庁舎等へ表敬訪問や府内名所を観光。17日滞在先の奈良から大阪を経て、福岡へ向かう。この時、京都の少年がリンドバーグ夫妻の飛行機に潜入し、密航を企てる事件が発生している。17日福岡を離れ、中華民国の南京と漢口まで飛行した。妻のアン・モローは、飛行記録として『NORTH TO THE ORIENT 』を著した。
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