高松宮杯出走に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:34 UTC 版)
「ナリタブライアン」の記事における「高松宮杯出走に関して」の解説
高松宮杯出走に関してはレースの前後を通じ、ナリタブライアンの距離適性の面から出走を疑問視ないし批判するマスコミが多かった。 大久保は出走を決断した理由について、2000年には「結局な、自分で走るのを加減している、というところがあったわけだろ。長いところを走ればそれだけ負担もたくさんかかる、ということだ。だったら、短いところを使ってみたらいいんじゃないか、と考えたわけ」と発言している。しかし、2006年には天皇賞(春)ではナリタブライアンは思い切り走っていたとして、むしろ「本当に強い馬は距離やコース形態を問わず勝てるはずだ」という信念が強く反映された出走であったと述べている。さらに、世間をあっといわせたかった、中京競馬場には一度も出走させていなかったためファンサービスの意味合いもあったとしている。これに対し大川は「本当に強い馬は距離に関係なく勝てるはずだ」という思想は競馬番組の距離体系が整備されていなかった昔の考えであり、ひどい時代錯誤だと批判した。藤野広一郎は、「ひとのエゴによって悲しきピエロにまで貶められた偉大な馬のプライドは、いったい、誰によって償われるのか」と非難した。南井克己は高松宮杯出走について、「あれだけの偉大な馬を、ああいう使い方するのは、どうかな、と思った。だって、歴史に残る馬なんだもん。キズつくような使い方はさ…。まあ、今は大久保先生と同じ、馬を使う立場だからね。今だからこそ言えることでさ」と述べている。 なお、高松宮杯では前述のように、南井から武豊への騎手の乗り替わりが行われた。その理由について大久保は当初、「天皇賞で2着に負けたから交代したわけじゃない」「ブライアンが元気なうちにお礼として武豊に騎乗してもらおうと思って」と説明していたが、橋本全弘は南井が降板させられたのだとしている。大久保は2000年に受けたインタビューで高松宮杯について語った際に「南井君には申し訳ないことをした」と発言したが、この騎手交代について大川慶次郎は、「南井ほどの、しかもナリタブライアンと一対のパートナーであった騎手を一度の騎乗ミスを理由にないがしろにすることは許されるものではない」という主旨の批判を行った。
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