騎手の乗り替わり
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2003年百日草特別での初騎乗以来、おもな勝利は五十嵐冬樹が騎乗して挙げたものだが、2004年のジャパンカップ以降はしばしば騎手が交代した。折り合いを欠いて敗れた日本ダービーのレース後には、岡田繁幸が五十嵐の騎乗に対して批判を行った。岡田は2010年の引退式の挨拶で、五十嵐について「無理な注文を言ってプレッシャーをかけてしまった」と述べている。 2005年はホッカイドウ競馬所属の千葉津代士が3戦にわたり騎乗した。このとき岡田は「地方競馬のいろいろな人にチャンスを与えたい」との意向を示していたが、千葉は結果を残せず、以降五十嵐をのぞく地方競馬所属騎手の騎乗は、2009年に小林俊彦が盛岡競馬で騎乗するまで実現しなかった。 2007年のジャパンカップでは、五十嵐に代わりJRA(美浦)の松岡正海を起用することが陣営から発表され、11月14日のスポーツ新聞各紙で報道された。陣営はその理由として、今後JRAの競走に出走するうえで本馬の収得賞金が十分とは言えない状況や、「逃げる競馬ではG1を勝つのは難しい」ことを挙げており、結果を出せていない五十嵐から、JRAの芝でのレース経験が豊富な松岡に交代するとした。天皇賞(秋)の際、直線でよれた騎乗内容が理由ではない、としている。松岡とのコンビは2008年末まで続いたが、レースに勝つことはできなかった。
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