騎手デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 10:10 UTC 版)
1957年、北海道新冠郡新冠町の農家に、10人兄弟の末子として生まれる。実家は米作を家業として農耕馬を飼養し、また、かたわらで競走馬の生産も手がけており、馬はごく身近な存在であった。1961年、父親に連れられて札幌競馬場を訪れ、はじめて競馬の様子を目の当たりにする。そこで騎手たちの姿に憧れを抱き、このときよりおぼろげながら将来に騎手を志した。小学生になってからは厩舎作業の手伝いもこなすようになり、また、家で飼う農耕馬にまたがり、独学で乗馬技術を覚えていった。 中学3年次の秋に中央競馬の騎手養成長期課程を受験したが、不合格となる。しかし受験の手続きを買って出た人物から、中央競馬の厩舎で作業をこなしながら騎手を目指す「短期講習生」という道があることを知らされ、後に知人の伝手を頼って中山競馬場所属の調教師・大久保房松を紹介された。大久保は75歳と高齢で「もう弟子はとらない」と一度は断られたが、実家での直接面談を経て入門が決まり、1972年4月に上京。大久保厩舎の一員となった。厩舎の兄弟子には当時のトップジョッキーであり、後に騎手顕彰者として殿堂入りを果たす郷原洋行がいた。 大久保は昔ながらの「技術は見て盗むもの」という信条をもち、的場が彼から具体的な技術を教わることはなかったが、しかしごく未熟なうちから調教騎乗の機会を積極的に与えられ、そこで何らかのミスがあっても叱られることはほとんどなかった。一方で郷原からはしばしば叱られつつも騎乗技術の要点を具体的に教わり、的場は本人の言う「絶妙なバランス」の中で育成されていった。的場が郷原から叩き込まれた最も大切な技術は「馬との約束事をいかに作るか」という部分であったという。
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