高年齢の死刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:55 UTC 版)
上記の通り、死刑を適用できる年齢の下限は18歳以上と規定されているが、年齢の上限については明文化されていない。 日本では高齢や身体機能の低下などを理由とした死刑囚への恩赦や、執行の猶予が決定されたことはなく、実際に2001年に名張毒ぶどう酒事件の死刑囚が75歳の時に胃がんになって手術したときも刑の執行停止は行われていない。80歳以上で獄死した死刑囚も存在する。 それに対し懲役など自由刑受刑者の場合は「年齢70年以上であるとき」(刑事訴訟法482条2項)には検察官の指揮によって「自由刑の裁量的執行停止」(刑事訴訟法482条)ができる。実例として江津事件などがある。 現在(2018年時点)、戦後最高齢での死刑執行は2006年12月に執行された77歳(秋山兄弟事件の死刑囚)である。また、これと同時に75歳(今市4人殺傷事件の死刑囚)の刑も執行されている。この75歳の死刑囚は遺言で、身体の衰えによって立つこともままならない状態であったと述べており、看守に両脇を抱えられる形で処刑されている。なお、それまでの戦後最高齢は生涯で10人を殺害した古谷惣吉の71歳(1985年5月31日執行)であった。 高齢死刑囚の事例として、他に以下のものがある: 2016年3月にも75歳の死刑囚(大阪連続バラバラ殺人事件のK)の死刑が執行された。 死刑の言い渡しであるが、一審であるが78歳の男性に死刑判決が出されたことがある。これは1989年に発生した熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件の実行犯に対するものである。保険金目当ての首謀者からの依頼で放火したものであるが、13年後の2002年に事件の真相が判明し逮捕されたが、実行犯が殺人罪で懲役20年で服役し仮出所中の犯行であったため死刑が言い渡されたものである。ただし2006年に首謀者が無期懲役なのに死刑というのは均衡を失するうえに82歳と高齢であるとして無期懲役に減軽されている。 帝銀事件の平沢貞通は、逮捕時が56歳で、死刑が確定したのは63歳の時であったが、冤罪の可能性が強く指摘された事件であり、死刑執行が諸般の事情で延ばされていた。実際に死刑の執行が法務大臣の決裁直前までいった事が複数あり、最後に死刑執行が上申されたのは平沢82歳の1974年11月であったという。ただし当時の法務大臣浜野清吾が決裁を渋ったことで見送られたという。その後は平沢の死刑執行の可能性はなくなったといえ、1978年7月に当時の法務大臣瀬戸山三男は「86歳になっている人をいまさら(執行に)ひきだすのは大変なことだ」と消極的な姿勢を示しており、平沢が獄死する日を待っていたと推測されている。 2011年3月に、72歳だった2003年9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で91歳女性を、73歳だった2004年12月に岡山県井原市で蕎麦屋店主の76歳男性を強盗目的で殺害した男に、戦後最高齢での死刑確定となる79歳で死刑判決が確定した。高齢者による同じ高齢者を殺害したものであった。二審で逆転死刑が言い渡された。なお、この死刑囚は死刑が執行されないまま2016年2月に84歳で病死している。
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