首都機能の麻痺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:40 UTC 版)
震災当時、通信・報道手段としては電報と新聞が主なものだった(ラジオ放送は実用化前で、電話も一般家庭に普及していなかった)が、当時東京にあった16の新聞社は、地震発生により活字ケースが倒れて活字が散乱したことで印刷機能を失い、さらに大火によって13社を焼失、報道機能は麻痺した。東京日日新聞(現在の毎日新聞の前身)・報知新聞・都新聞は焼け残り、もっとも早く復旧した東京日日は9月5日付夕刊を発行した。 郵便制度も同様だった。普通切手やはがき、そして印紙も焼け、一部に至っては原版までも失われた。全国各地の郵便局の在庫が逼迫することが予想されたため、糊や目打なしの震災切手と呼ばれる臨時切手が民間の印刷会社(精版印刷・大阪、秀英舎・東京)に製造を委託され、9種類が発行された。その他にはがき2種類、印紙なども同様にして製造された。 11月に発行を予定していた、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)と良子女王(のちの香淳皇后)との結婚式の記念切手「東宮御婚儀」4種類のほとんどが逓信省の倉庫で原版もろとも焼け、切手や記念絵葉書は発行中止(不発行)となった。その後、当時日本の委任統治領だった南洋庁(パラオ)へ事前に送っていた分が回収され、皇室関係者と逓信省関係者へ贈呈された。結婚式自体は1924年(大正13年)の1月に延期して挙行された。 関東以外の地域では、通信・交通手段の途絶も加わって伝聞情報や新聞記者・ジャーナリストの現地取材による情報収集に頼らざるを得なくなり、新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」「津波、赤城山麓にまで達する」「政府首脳の全滅」「伊豆諸島の大噴火による消滅」「三浦半島の陥没」などといった噂やデマの情報が取り上げられた。 震央から約120kmの範囲内にあった国有鉄道の149トンネル(建設中を含む)のうち、93トンネルで補修が必要となった。激しい被害を受けたのは、熱海線(現在の東海道線)小田原-真鶴間で、11本あるトンネルのうち7本に大規模な損傷がでる被害を生じた。地滑りや斜面崩落により坑口付近の崩落や埋没を生じたが、坑口から離れた場所でも亀裂や横断面の変形を生じている。深刻な被害を生じたのは、根ノ上山トンネル(熱海線:早川-根府川間)、与瀬トンネル(中央線:相模湖-藤野間)、南無谷トンネル(現在の内房線:岩井-富浦間)。
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