鞠智城跡とは? わかりやすく解説

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鞠智城跡

名称: 鞠智城跡
ふりがな きくちじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 熊本県
市区町村 菊池市鹿本郡菊鹿町
管理団体
指定年月日 2004.02.27(平成16.02.27)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 鞠智城跡は、有明海に注ぐ菊池川河口から北東に約27km内陸入った菊池川中流域鹿本郡菊鹿町米原にある標高160m前後丘陵地位置する。北は福岡県境に連なる山々望み、南は菊池川により形成され平野広がっている。
 鞠智城東アジア情勢緊迫の度を増した7世紀中葉以降に、大宰府防衛のため大和朝廷によって築かれ朝鮮式山城のひとつと考えられ『続日本紀』文武天皇2年698)の「大宰府をして、大野基肄鞠智三城を繕治せしむ」とある修繕記事初見とし、降って日本文徳天皇実録天安2年858)に「菊池城兵庫の鼓自ら鳴る」「菊池城不動倉十一宇火」、『日本三代実録元慶3年(879)に「菊池城院の兵庫の戸自ら鳴る」の怪異記事及び火災記事国史散見する
 城跡菊鹿町米原長者原地区中心とする総延長3.5km土塁線や急峻な崖線囲まれた、南北1.2km東西1km面積約64haの規模有する昭和42年度から始められ発掘調査によって、現在までに掘立柱建物礎石建物鼓楼ともいわれている八角形建物跡2棟貯水池跡、貯木場跡等の遺構のほか、南側の崖面に3箇所(深迫・堀切・池の尾)で門跡確認されている。遺構変遷としては、現在のところ、第I期7世紀中葉から7世紀末)、第II期7世紀末から8世紀後半)第III期8世紀末から廃絶まで)の大きく三時期に区分して考えられている。出土遺物として、「秦人忍□五斗」と墨書された米の荷札考えられる木簡百済系の単弁八葉蓮華文軒丸瓦注目すべきものが出土し、このほか、炭化米や礎石表面火災痕跡など国史記述合致するような遺構、遺物も見つかっている。
 熊本県昭和34年県史跡に指定して保護講じるとともに継続的に発掘調査行い公有地事業及び歴史公園としての整備事業平成6年度から進めている。
 このように、鞠智城跡は、7世紀代の東アジア中心とする国際関係緊迫化の中で北部九州防衛拠点として大和朝廷により造営されたものとして、大野城基肄城並び重要な遺跡あり、か遺構等保存状況良好である。よって史跡指定してその保護図ろうとするものである
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