非人工品説の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 13:01 UTC 版)
叉状骨器が非人工品であるとはじめに指摘したのは中国の考古学者・裴文中である。裴は1938年に『非人工破砕之骨化石』と題する論文を投稿し、周口店遺跡で発掘された骨化石の加工痕が人工的なものではないことを論じた。この論考には叉状骨器に類似する形状の遺物も登場するが、当時の日本に紹介されることはなかった。彼は1960年にも同旨の批判を展開し、徳永が伊江島で発掘したシカ化石骨についても人工物ではないと指摘した。しかしこの論考も、沖縄側の研究者には、後に加藤によって紹介されるまでほとんど知られることはなかった。 1977年・1978年に伊江島ゴヘズ洞穴での発掘調査を行った加藤晋平もまた叉状骨器が人工物であることに疑問を呈した。加藤は石灰岩地帯ではシカがしばしばリン欠乏症を発症すること、その場合、シカは同種の骨をかじり、不足した栄養分を補おうとする骨角食(英語版)と呼ばれる症状を見せることを指摘した。加藤はゴヘズ洞穴にて出土した同様のシカ化石についても旧石器時代の人工遺物ではなく、シカの齧食痕が人工物様にみえる「疑骨器」であるとの見解を述べた。「叉状骨器の切り込み痕と叉状形態がシカの生態から説明できる」という加藤の説に対する積極的反論はなかったもの、安里嗣淳により出土する叉状骨器の長さがほぼ揃っていること、一部の骨片には 神経孔の拡大や穿孔、先端の研磨といった別の種類の加工痕が見られることについては別に検討が必要という議論が提起された。 生物学者の立澤史郎は上述した議論を受けて、馬毛島におけるマゲシカの骨角食行動を調査した。島内におけるマゲシカの密度増加が確認された1990年以降マゲシカの骨角食行動は急激に増加し、個体数がピークを迎えた1992年には齧食痕が存在しない骨角を見つけることすら難しくなり、いわゆる「叉状」形をした長骨も頻繁に発見されるようになった。立澤はマゲシカの骨角食行動の観察を通じ、叉状骨片の形成についてはシカ類の齧食のメカニズムとともに、齧られる骨の形状が関係すること、すなわち、扁平かつ片面の角出した形状の骨を齧食すると、扇平面の中央部が側面よりはやく摩耗し、叉状の形態が生まれることを指摘した。また、両端が叉状になっている骨片についてはその長さがおよそ7-10 cmの範囲に集中することから、歯列間に骨を挟み込む形で骨片が形成されている可能性が示された。 現在、叉状骨器の自然物説はほとんど追認されている。沖縄地域の旧石器文化を示すものとしては港川人、ピンザアブ洞人をはじめとする更新世の化石人骨、および、山下町第一洞穴遺跡で出土した石器類がある。
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