電気軌道以降とは? わかりやすく解説

電気軌道以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 14:05 UTC 版)

利根軌道」の記事における「電気軌道以降」の解説

1916年6月株主総会では電気軌道敷設すること、電燈電力の供給事業始めること、増資して資本金24にすることを決議した1917年9月より自前発電所持たず利根発電より電気供給をうけ電気事業開始した利根発電利根電力合併した引継ぎした後、休止していた永井発電所久呂保村川額)を再稼働させこの電力利根軌道給電久呂保村への電気供給軌道への電力使用することにした。この電気事業1917年末現在で利南村久呂保村546戸に供給し1921年東京電燈合併時点には白郷井、敷島、久呂保、川田、糸之瀬、利南の6ヵ拡大した1917年12月電気軌道工事施行認可がおり、1918年1月15日には竣工し21日より運転を開始した電化により不要になった馬50頭は家畜市場などで競売したという。電化後成績であるが営業報告書によれば1920年3月から8月まで乗客大人75,803人小人2,899貨物積載量6,063トン開業当初比較して乗客は2.12倍、貨物は1.45倍の成績をあげたという。また3月株主総会では事業化学工業追加した1921年になり利根軌道利根発電とともに東京電燈合併され、その前橋支社となった。そして社長住は東京電燈取締役となった国鉄上越南線渋川到達したのが1921年7月のことであった渋川-岩本間の工事1920年6月着工となり、遂に1924年3月沼田まで開通した。これにより並行となった東京電燈軌道線(旧利根軌道)は営業廃止し地方鉄道法における補償をうけることになった補償金額は578,150であった1911年明治44年4月15日 渋川 - 屋形原開業 7月5日 屋形原 - 沼田開業 1912年明治45年7月27日 吾妻温泉馬車軌道(後の吾妻軌道沢 - 中之条間開業により、利根軌道線への乗り入れ開始 1914年大正3年6月25日 渋川新町付近延長区間廃止申請1915年大正4年3月18日廃止許可1917年大正6年9月26日 電気事業開始 1918年大正7年1月21日 利根川水力発電用いて全線電化 1921年大正10年4月1日 東京電燈統合 1924年大正13年4月1日 休止 1925年大正14年3月6日 廃止

※この「電気軌道以降」の解説は、「利根軌道」の解説の一部です。
「電気軌道以降」を含む「利根軌道」の記事については、「利根軌道」の概要を参照ください。

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