電気式気動車のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 14:13 UTC 版)
「日本の電気式気動車」の記事における「電気式気動車のその後」の解説
電気式は総括制御が容易という長所はあったが、低出力エンジンと効率の低い直流発電機の組み合わせでは、十分な性能は期待できなかった。これは150 PSで30 t超級のキハ44000系にも当てはまる弱点であった。キハ44000の自重は35.0 t、それより軽いキハ44100/44200でも33.97 t/33.76 tで、同じDMH17Aエンジンを積み、1両あたりの収容力もほぼ同等な機械式キハ42500と比較して25%程度の重量増を来していた。 急勾配にも弱く、当初重点配備された房総地区においては、房総東線(現・外房線)大網駅 - 土気駅間の上り勾配において速度が10 km/hを下回り、海水浴シーズンなどの多客時には自然に停車してしまうことすらあったという。また、地元の国鉄小倉工場に電車技術に関するノウハウのなかった九州では、キハ44100形・キハ44200形の主電動機など電装系のメンテナンスに難渋をきたすという、意外な面からの障害もあった。 一方、本命たる液体式変速機開発での変速機油漏れやクラッチ滑りなどの問題は1952年中に解決し、1952年12月には既に戦前に開発済みであった液体式気動車用総括制御システムを用いて、試作変速機を装備したキハ42500形での2両連結運転試験が成功していた。 こうして1953年3月、キハ44000系の後を追うように、キハ44000形量産車と同スタイルの液体式試作気動車キハ44500形(キハ15形)が竣工、試運転に供され、電気式のキハ44000形、キハ44100,キハ44200形と比較検討され、実用水準に達した液体式の方が性能に優れることが実証された。その結果を受け、1953年後半からはキハ45000系(のちのキハ10系)が液体式気動車の量産形式として大量に増備されるに至った。 少数派となったキハ44000系電気式気動車は、のち液体式化されるなどして以下のような経緯をたどり、最終的にはキハ10系液体式気動車の傍系グループに吸収されることになる。 これらの液体式化改造の際に、台車をDT19に換装したものと、DT18からモーターをおろし、逆転器を装備して流用したものとがある。またエンジンも、DMH17B (160 PS) かDMH17C (180 PS) となり、連結器も密着自動式に交換されるなど、量産型キハ10系に準じる内容への改造が図られた。
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