開園後の動き
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日本国花苑の桜は1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて計画的に植林された。 1973年(昭和48年)に、朝日新聞創設九十五周年記念の「新しい名所づくり・わが子に残したい桜の名所百ヵ所」(日本花の会主催)に全国から文書で一万七千四百余が応募され、秋田県からは大館市長根山公園とともに選ばれた。 1977年(昭和52年)に、秋田魁新報主催の「新観光秋田三十景」が企画され、もともと集客第一主義の出発ではなかったが、これに応募することになり、町内外の各界へのPRが行われた。結果、応募数216万9455枚のはがきの集計の結果、日本国花苑は第18位で入選した。 1978年(昭和53年)には、日本国花苑が誕生した由来の一端を裏面に刻んだ廣江美之助の句碑を建立することで苑の風情が引き立つのではないかということで、その計画は急速に進展し、11月1日に碑の除幕式が執り行われた。 1989年(平成元年)から、芝生公園やさくら見本園、テニスコートなどのスポーツ関連施設、バラ園などの拡大事業に着手する。 1995年(平成7年)2月、JRの新駅である井川さくら駅が開業した。同駅に隣接する公園の一角に新駅開設記念のブロンズ像「母子像・愛」を設置した。これをきっかけにして、町では2000年(平成12年)から十年間にわたって「桜の森彫刻コンクール」が展開された。毎年、大賞、優秀賞2点さらに準賞の中から町民賞1点を選び作品が公園内に制作展示された。 2005年(平成17年)には、日本花の会が主導して毎年桜の名所で開かれる「桜サミット」が日本国花苑を主会場に開かれた。町では「二〇〇五全国さくらシンポジウムINいかわ」を看板にしてイベントを開催した。
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