開園後の動きとは? わかりやすく解説

開園後の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:58 UTC 版)

日本国花苑」の記事における「開園後の動き」の解説

日本国花苑1972年昭和47年)から1974年昭和49年)にかけて計画的に植林された。 1973年昭和48年)に、朝日新聞創設九十五周年記念の「新し名所づくり・わが子に残したい桜の名所百ヵ所」(日本花の会主催)に全国から文書一万七千四百余が応募され秋田県からは大館市長根山公とともに選ばれた。 1977年昭和52年)に、秋田魁新報主催の「新観光秋田三十景」が企画され、もともと集客第一主義出発ではなかったが、これに応募することになり、町内外の各界へのPRが行われた。結果応募2169455のはがきの集計結果日本国花苑は第18位で入選した1978年昭和53年)には、日本国花苑誕生した由来一端裏面刻んだ廣江美之助句碑建立することで苑の風情引き立つではないかということで、その計画急速に進展し11月1日に碑の除幕式執り行われた。 1989年平成元年)から、芝生公園やさくら見本園、テニスコートなどのスポーツ関連施設バラ園などの拡大事業着手する1995年平成7年2月JR新駅である井川さくら駅開業した。同駅に隣接する公園一角新駅開設記念ブロンズ像母子像・愛」を設置した。これをきっかけにして、町では2000年平成12年)から十年間にわたって桜の森彫刻コンクール」が展開された。毎年大賞優秀賞2点さらに準賞の中から町民1点選び作品公園内制作展示された。 2005年平成17年)には、日本花の会主導して毎年桜の名所開かれるサミット」が日本国花苑主会場開かれた。町では「二〇〇五全国さくらシンポジウムINいかわ」を看板にしてイベント開催した

※この「開園後の動き」の解説は、「日本国花苑」の解説の一部です。
「開園後の動き」を含む「日本国花苑」の記事については、「日本国花苑」の概要を参照ください。

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