鉄橋の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:10 UTC 版)
1898年(明治31年)、岡崎文吉設計による初代鉄橋が完成した。この橋は橋長64.8mのうち、36.6mが北海道内初の錬鉄製による「プラット・トラス」として架設し、残りは依然木造ハウ・トラスのままであった。しかし1909年(明治42年)、融雪時の洪水によって橋脚の土台がえぐられ、橋は傾いた。翌1910年(明治43年)1月から復旧工事が開始したものの厳冬期の作業は遅々として進まず、本格的な工事には春の訪れを待つ必要があった。さらに6月6日、当時の札幌史上最大規模の洪水がまだ完成していない工事現場を見舞い、多数の流木が両岸の堤防もろとも仮橋脚を破壊した。この後十数年に渡り、仮橋をかけて応急処理でしのぐ期間が続いた。 1924年(大正13年)、東京帝国大学名誉教授で「港湾工学の父」と呼ばれた広井勇の指導の下、技師の山口敬助と技手の高橋勝衛によって設計された「ブレースト・リブ・タイド・アーチ」によるアーチ橋が、3年の歳月をかけて完成した。なお48年前、木鉄混合トラス橋の設計者であったホイーラー教頭の下で、広井は札幌農学校の生徒であり、26年前に初代鉄橋を設計した岡崎は、その数年前、札幌農学校で広井の一番弟子であった。 ブレースト・リブ・タイド・アーチは二重のアーチをトラス状に連結補強した構造であり、八ツ山橋(東京都品川区、1914年完成、1985年解体。大河戸宗治設計)に次いで日本国内で2番目の採用となっただけでなく、初めてこの構造を連続して設け、橋脚に生じる水平力を軽減したことで、御影石で外装された慎ましい橋脚が可能となるなど、画期的な橋梁であった。同年8月の竣工式には当時の内務大臣若槻礼次郎も列席、6万人の見物客が訪れたという。札幌電気軌道(現在の札幌市電)も豊平線として橋を渡っていた(1971年(昭和46年)廃止)。 この2代目鉄橋は40年以上にわたり、札幌の街並みと調和して市民を魅了し、旭橋(旭川市)・幣舞橋(釧路市)とともに「北海道三大名橋」と称された。 戦後、経済成長とともに自動車が普及すると道路の拡張が実施され、豊平町(現在の豊平区)側の道路も27mに拡げられた。幅員の狭い豊平橋付近で渋滞が発生したため、橋の架け替えを決定した。工事期間中の3年間は仮橋が架けられ、アーチ型の旧豊平橋解体後から1年4か月の1966年(昭和41年)に新しい豊平橋が竣工した。橋桁が一直線に川を横切るデザイン(桁橋)で、旧豊平橋で使用された御影石を再利用している。 なお、旧豊平橋は北海道開拓記念館(現・北海道博物館)に模型が造られ保存されている。
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