鈴木春山とは?

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すずきしゅんざん 鈴木春山 ○

1801~1846 江戸末期蘭医兵学者三河田原藩医長崎西洋医学を修め、渡辺崋山高野長英らと交わる。兵学書を多く著し国防急務を説いた。著「三兵活法」「海上攻守略説」など。

鈴木春山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/12 04:02 UTC 版)

鈴木 春山(すずき しゅんさん[† 1]享和元年(1801年) - 弘化3年閏5月10日1846年6月3日))は、江戸時代後期の兵学者三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩医。日本で初めて西洋兵学書の翻訳を行った人物として知られる。


注釈

  1. ^ 読みを「しゅんざん」とする文献もあるが、医学の師である浅井朝山の一字をもらい読みも「チョウサン」に倣ったとして、「シュンサン」と読むのが一般的である[1]
  2. ^ 後掲の塩谷宕陰の春山墓碑に朝川善庵に師事した旨の記述がある。森銑三によると、艮頭子の随筆『駿台日鈔』「奇士」という章に「又鈴木春山といふ者あり、田原の人なり。三十年前、余濃人吉田光彝、総人菊川元卿、及び春山と同じく会して経史を読む」とあり、同書の別の部分これが文政初年ごろであるという。また、春山と交友があった三河吉田藩士・柴田猪助の『柴田善伸日記』の天保7年11月15日の条には、聞き書きとして加納藩士・吉田藤一郎という40歳余の人物は学問に優れており、浅川善庵のもとで学んだ。鈴木春山と対談したこともあるという。[5][6]
  3. ^ 崋山の日記『全楽堂日録』には会った時のことを「巣鴨屋敷で俊治(春山)と会った。九州をおよそ3年旅し、ひとふりの剣とともに単身で名勝を訪れ、名士を求め、地勢を見て、人情を察したとのことである。彼の話はとても有益なものだった。友信公(田原藩隠居の三宅友信)は彼に酒を賜い、話は深夜に至った(意訳、原漢文)とある。[12]
  4. ^ 例えば、『渡辺崋山集』には天保3年に崋山が藩家老に就任した後に行った藩政改革について春山に送った手紙が4通掲載されており、うち1通は春山の意見に対する返答である。[13]
  5. ^ また、『田原町史』中巻は天保8年3月24日付の柴田善伸日記を引き、春山自身が柴田善伸に「蘭学かたわら江戸に二三年ばかりも居候也」と言ったことに言及している[15]
  6. ^ この年12月12日、藩から吉田・岡崎近辺療治のため他行の儀は勝手次第で願に及ばず。大目付への届だけでよいと達せられている[18]
  7. ^ 塩谷宕陰が仕える掛川藩主・太田資始は当時老中であり、森は嘆願先は老中首座の水野忠邦ではなかったかと想像している。[19]
  8. ^ 崋山の蟄居時の日記『守困日歴』には、春山がたびたび崋山の蟄居屋敷に来訪して、さまざまに世話をしている様子がわかる。[21]
  9. ^ 崋山がこの年5月18日に親しくしていた藩士・村上範致に送った書簡には「春山、足下立後寥寂無人」と心境を書き留めている。この後、崋山が売画していることを問題視する声が上がり、崋山は追い詰められていく。[23]

出典



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