金明竹の出現とは? わかりやすく解説

金明竹の出現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 07:09 UTC 版)

篠原のキンメイチク」の記事における「金明竹の出現」の解説

篠原のキンメイチク加賀市北西部篠原町(旧江沼郡篠原村)の民家立ち並ぶ一角生育している。天然記念物指定エリアは約10平方メートル小さな短冊形をしており、生育地周囲玉垣囲まれている。 元々この場所は同町の河崎家所有のマダケ竹林であったが、1876年明治9年)に通常のマダケの棹面に黄色の斑が偶発的に生じその後続いて発生したといい、当時所有者であった河崎岩吉通常のマダケ切って間引き黄色の斑のある竹のみを残して保護したという。このように篠原のキンメイチクは稈(かん)の編成替えよってできた品種である。 この珍しい竹は1878年明治11年)に明治天皇北陸地方行幸した際に天覧し、明治天皇自らが「金明竹キンメイチク)」と命名した伝えられている。キンメイチクそのものも珍しいが、このように出現過程や、その経過明瞭であるものは非常に珍しいため、1927年昭和2年4月8日に国の天然記念物指定された。 すべての竹類の稈(かん)の断面3層から構成されており、通常の竹は一番外側の第1層緑色であるのに対しキンメイチク場合第1層黄色に変色し第2層元通り緑色であるが、節の部分から)が出ると、第1層黄色組織一部方に出るため、第1層薄くなり溝部(がこうぶ)が形成される溝部は薄いので第2層緑色透けて見える。そのため全稈が黄金色になり、溝の部分だけが緑色になって一種モザイク状を呈し美しく見える。 このようにキンメイチクギンメイチク、または斑入りの竹といった、表面の色や模様特徴を持つ竹ができる理由が、3層からなる竹稈の構造よるものであることを解明したのは、法政大学教授笠原基知治で、1963年昭和38年)に富士竹類植物園報告第7号において発表され、竹類の研究大きく進んだ日本国内におけるキンメイチク最古の記録は、1795年寛政7年)に京都西岡今日京都盆地西部)で発見されたもので、当時京都発行されていた瓦版である軒に絵図とともに記載されており、その後日本国内各地マダケから散発的に発生していたもの考えられている。 左記瓦版記述内容 金銀のいろを 表裏みちみちて裏なる世々節々)のしるしなるらん京(都)西岡新田という百姓某の黄金色の竹出生したことについて不思議なできごとで、そのまますてずに世々伝えて子々孫々伝えてひろく世に弘めしむものなりこの小竹は卯の年(寛政上旬に出るここは黄金色なり右の竹の囲り四寸(12.1センチ)、長さ七間(12.6メートル)ある寛政七年初秋、右の竹は当時西九条稲荷神社お旅所移した

※この「金明竹の出現」の解説は、「篠原のキンメイチク」の解説の一部です。
「金明竹の出現」を含む「篠原のキンメイチク」の記事については、「篠原のキンメイチク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「金明竹の出現」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

金明竹の出現のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金明竹の出現のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの篠原のキンメイチク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS