金明山天野氏とは? わかりやすく解説

金明山天野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 18:47 UTC 版)

天野氏」の記事における「金明山天野氏」の解説

天野政貞から始まる天野氏で、政貞と生城山初代天野顕義とは従兄弟である。政貞は南北朝の争乱では新田義貞に従って北朝戦った嫡男失っていた政貞は新田義顕息子養子として迎え天野顕政と名乗らせた[要出典]。南朝勢力衰えると、一族所領があった安芸国堀荘に下向、金明山城を居城とした。 その後南朝方として活動したが、天野顕元の代に北朝転じて大内氏傘下安芸国国人として勢力扶植した。後に生城山天野氏からも養子迎え、その天野元貞1512年毛利興元呼び掛けによって、石見国安芸国国人高橋元光や吉川元経近隣平賀弘保小早川弘平安芸国南部阿曽沼弘秀や矢野城主で水軍抱え野間興勝、そして生城山天野氏天野興定国人一揆契約結んだ元貞の子には月山富田城代として尼子再興軍から城を守った天野隆重や、その弟で1551年大寧寺の変で、大内義隆最後まで守って討死した天野隆良がいる。隆重の子天野元明の家は、元明末弟天野元信が継ぐが、元信1605年萩城築城の遅れの責任を取らされ、岳父熊谷元直と共に処刑された。隆重のもう一人の子天野元祐は、毛利元就の命で天野隆良養子となり、月山富田城備中松山城守った1584年に隆重が死去すると、家督天野元嘉継いだ1600年関ヶ原の戦いの後、毛利氏防長2国に移封されると、それに従い長州藩士として江戸時代まで続く。

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