金日成総合大学総長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:49 UTC 版)
封建主義から共産主義に至る北朝鮮の発展段階で、黄長燁の考えは金日成と違っていた。黄長燁はマルクス・レーニン主義の社会発展論から「資本・社会両主義の過渡期を経過する必要がある」と主張したが、その過渡期を不要とする金日成から「資本・日和見両主義者」と睨まれた。これに対し金正日は「黄長燁は主体思想の体系化に必要な人材」と父に取り成して事なきを得た。しかし、後に黄長燁は様々なインタビューで金正日より金日成を評価しており、金日成は中国式の改革開放に肯定的だったとし、鄧小平と確執を起こして中国に批判的だった金正日は自己保身を優先して経済を低迷させたと証言しており、これは他の記録資料でも裏付けられている。
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