金属素材の盲点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:34 UTC 版)
「コメット連続墜落事故」の記事における「金属素材の盲点」の解説
航空機の材料としてアルミニウム合金が使用されるようになったのは、1920年代からと早かったが、当時の航空機は鋼管などでフレームを構築し、その外部に木材や防水布を張る原始的構造が普通であったため、アルミ合金採用は強度計算の容易な金属製骨材や外装部材への部分採用に留まっていた。 胴体や翼の金属製外皮全体に応力を分担させる、機体全体を一体の強度構造とした、近代的な全金属製モノコック構造を採用した航空機が広まったのは、1930年代前期頃からであった。 モノコック構造は以後数年のうちに航空機の機体構造における標準技術となったが、まもなく世界は第二次世界大戦に突入し、航空機は消耗品として扱われるようになっていったため、長期的な金属疲労に関する技術の進歩は望めなかった。しかし、金属疲労は磨耗、腐食と並んで金属素材の最大の欠点であるため、長期使用においては避けて通れない問題であった。 民間輸送機で旅客の居住性を改善する機内与圧については、既に1930年代末期のボーイング307型旅客機が実用水準に達していたが、当時のレシプロ旅客機の巡航高度は4,000m程度であり、与圧しても機外との大気差圧は大きくなかった。 コメット同様の高高度飛行に対応した与圧については、戦略的な見地から第二次大戦中のB-29 爆撃機によって実現されていたが、それらは機体構造に精通した乗員のみを搭乗させて戦闘行為に当たる軍用機で、与圧による大気圧差もさほど高くはなかった。また爆撃機の乗員は大型でも10名足らずで、必要な与圧部分は機首操縦室や機体後尾等の搭乗位置のみに限られ、機体の大部分を占めて主翼にも接続する爆弾倉部分の胴体は、通常、与圧なしで内外気圧差はない。従って爆撃機の場合も、与圧による機体への負担は、胴体のほぼ全体を与圧する民間輸送機のコメットほどは大きくなかった。 しかも爆撃機は、機体構造に欠陥があって墜落したとしても、戦時には戦闘による喪失と欠陥を区別することは難しかった。そして平時にはその運用性質上、同じ機体が毎日のように飛行するわけでもなく、地上待機時間が長くなるため、滞空時間・飛行回数によるトラブルはそれだけ生じにくくなった。 そのため、コメットのように、高度の昇降に伴う機体全体への与圧と減圧が毎日のように反復される旅客機には、設計者の想定以上に金属材料への応力がかかっていた。結果として、設計強度が不足する事になり、金属疲労による悲劇的な運命を図らずも与えていたといえる。
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