野村啓司とは? わかりやすく解説

野村啓司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 08:56 UTC 版)

野村 啓司(のむら けいじ、1948年昭和23年6月9日[1] - 2024年令和6年)3月12日)は、関西を中心に活動していたフリーアナウンサー。元・毎日放送(MBS)アナウンサーで、同局からの定年退職(2008年6月)後も、ラジオパーソナリティとして2013年9月まで専属契約を結んでいた。ニックネームは「啓ちゃん」。


注釈

  1. ^ NHKや朝日放送も受験したが、不合格[2]
  2. ^ 1980年10月に、八木治郎司会の『八木治郎ショー・いい朝8時』としてスタート。八木が死去した1983年5月から、立川清登うつみ宮土理の司会による『すてきな出逢い いい朝8時』として放送された。
  3. ^ 『ノムラでノムラだ♪』シリーズの2010年3月までの裏番組である『元気イチバン!!芦沢誠です』(ABCラジオ)にてアシスタントを務めていた。
  4. ^ 東北中国四国のJNN系にも同時ネットで放送された
  5. ^ 北海道放送中部日本放送RKB毎日放送でも放送されていた
  6. ^ 2006年4月から、『ノムラでノムラだ♪』が放送されていなかった金曜日に、中継リポーターとして隔週で登場した。2008年1月からは月1回、『ノムラでノムラだ♪』の本番前に、月曜14時台の企画『あの歌をこの場所で聴きたい』にも出演した。同年10月から2009年3月までは、VTR出演ながら、月曜17時台に月1・2回放送された「人気もんで行こッ!」にも登場した。2013年には、月曜日で放送されていた「お初にございます」のナレーターを務めた。なお、出演期間中は他のTBSテレビ系列局の一部でも前半の同時ネットを実施していたが、以上のコーナーは後半の関西ローカルパートで放送されていた。
  7. ^ 『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』として放送していた2009年度のナイターオフ期間には、「ノムラでノムラだ♪ Go!Go!エキストラ」を内包する形で放送時間を延長した火 - 金曜日に、同番組の出演者で唯一全編にわたって出演していた。
  8. ^ 石原詢子演歌歌手)のパートナーを務める原田年晴(ラジオ大阪アナウンサー)が悪性リンパ腫の治療で入院していた2020年2・3月にパートナー代理として出演した。関西以外の地方でも放送される番組へのレギュラー出演は、フリーアナウンサーへの転身後初めてである。
  9. ^ 2020年4月下旬から6月中旬までは、日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることを背景に、兵庫県内の自宅からのリモート中継方式でMBSラジオのレギュラー番組(いずれも事前収録)へ出演した。生ワイド番組の『Hit&Hit!』については、ラジオ大阪のスタジオがある大阪府と兵庫県の往来を自粛する要請が両府県から出されたことなどを踏まえて、4月10日から5月29日まで休演していた。
  10. ^ 家庭の事情などから、毎日放送を野村より先(1992年8月)に退社。MBSラジオでは、かつて『なにはなくとも野村啓司です』が放送されていた時間帯(平日の午後)で、2000年10月から『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』シリーズのメインパーソナリティを務めている。毎日放送が野村の死去を公表した2024年3月25日は月曜日であったことから、当日は『こんちわコンちゃん - 』の冒頭で、野村の訃報をリスナーに伝えた。
  11. ^ 毎日放送のアナウンサー → 専属パーソナリティを経て、フリーアナウンサーとしてラジオ大阪で冠番組のパーソナリティを担当。毎日放送時代には、野村の同僚(先輩アナウンサー)でもあった。
  12. ^ 関西テレビ出身のフリーアナウンサーで、野村と同じく京都市の出身。野村の4歳年上(本人が死去した時点では79歳)だが、関西テレビのアナウンサー時代に『いい朝8時』の裏番組(大阪発の全国ネット向け生放送番組)へ長らく出演していたことなどから、本人との面識はほとんどなかったという。その一方で、実母が京都市内の小学校へ通っていた時期の同級生に、野村の実父がいた。野村の訃報が伝えられた直後には、お互いの自宅が放送局の正社員時代から近かった縁で、子息がかつて同じ野球チームに所属していたことを『桑原征平粋も甘いも』(朝日放送ラジオ)で明かしている。
  13. ^ 毎日放送の元・アナウンサーで、同局および生田教室における野村の10年後輩。定年退職と「シニアスタッフ」(嘱託契約)の満了を経て、2023年2月からフリーアナウンサーへ転身した後に、『人生という宝物』のパーソナリティを野村から引き継いでいる。同番組では、野村の死去が公表されてから最初の放送回(2024年3月31日放送分)の冒頭で、リスナーに向けて野村の訃報を改めて伝えていた。
  14. ^ 毎日放送のアナウンサー。野村とは30数年の後輩で、「昭和歌謡マニア」という縁から、同局の番組やイベントで共演することがあった。『ちちんぷいぷい』でかつて担当していたロケコーナー(「お初にございます」→ 「歌碑ものがたり」)には、野村の声による口上が使われていた。

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