那須疏水事業とは? わかりやすく解説

那須疏水事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 00:53 UTC 版)

那珂川」の記事における「那須疏水事業」の解説

詳細は「那須疏水」を参照 那珂川上流部栃木県那須野ヶ原那須岳大佐飛山地高原山より流れ出る複数河川那珂川熊川蛇尾川箒川)によって国内最大級の複合扇状地形成されている。その面積はおよそ4haにのぼるが河水はそのほとんどが伏流水として地下に潜るこのため流域住民厳し水供給余儀なくされていた。実話として、那須野ヶ原より約4km離れている箒川まで水桶抱えて確保し往復していたという話もある。『手にすくうもなし』と例えられるほど慢性的な水不足悩まされ那須野住民にとって安定した水供給悲願であったが、大田原藩黒羽藩などの那須地域諸藩が、城下確保するために掘削した小規模な蟇沼用水木ノ俣用水細々水脈保っていた以外に水利はなく、明治に入るまで那須野ヶ原原野のまま存置されてきた。 明治時代那須野ヶ原本格的な開拓が行われたが水供給問題尾を引いていた。栃木県初代県令鍋島幹であったが彼は那須東京運河で結ぶ「大運河構想」を練っていた。この構想壮大すぎ実現には至らなかったが、これにヒント得た那須野ヶ原灌漑整備構想がもたれるようになった那須地方実業家であった印南丈作矢板武は、那珂川から用水を引き那須野ヶ原灌漑用水利用しようとする構想打ち立てた事業計画容易に進まなかったが、栃木県令・三島通庸強力な後援もあって内務省による正式な事業となり1885年明治18年9月住民宿願である那須疏水事業が着手された。 那珂川上流西岩崎地点頭首工西岩崎頭首工)を建設し、そこから農業用水台地送水するというものであったこの疏水は、安積疏水福島県)を掘削した熟練技術工員により工事進められ幹線水路約16.3kmが着工から僅か5か月という極めて早いペース完成した翌年からは支線水路約46.5kmが建設され長年水不足悩まされ那須野ヶ原遂に安定した水供給図られた。事業費当時予算10万円であるが、この事業費当時内務省土木局年間予算10分の1にあたり、いかに巨大なプロジェクトであったかが分かる1905年明治38年)と1928年昭和3年)にも拡張事業が行われ、総延長約332.9kmの水路網によって約4,000haの開墾が可能となった。この那須疏水安積疏水福島県)、琵琶湖疏水京都府とともに日本三大疏水」と称えられている。

※この「那須疏水事業」の解説は、「那珂川」の解説の一部です。
「那須疏水事業」を含む「那珂川」の記事については、「那珂川」の概要を参照ください。

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