印南丈作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 04:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動いんなみ じょうさく 印南 丈作 | |
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生誕 | 神山 源太郎 (かみやま げんたろう) 1831年8月23日 下野国都賀郡日光入町本町 (現:栃木県日光市) |
死没 | 1888年(明治21年)1月7日 栃木県那須郡那須野村 (現・那須塩原市三区町) |
国籍 | ![]() |
職業 | 実業家 |
著名な実績 | 那須疏水の開削 |
印南 丈作(いんなみ じょうさく、1831年8月23日(天保2年7月16日) - 1888年(明治21年)1月7日)は、江戸期及び明治期の実業家。矢板武とともに那須野が原開拓の功労者として知られる。
略歴
- 1831年(天保2年) - 下野国都賀郡日光入町本町(現:栃木県日光市)に生まれる。出生名は神山源太郎(かみやま げんたろう)。
- 1850年(嘉永3年) - 那須郡大田原(現:栃木県大田原市)の印南丈七の養子となり、彼の長女・トメと結婚する。
- 1880年(明治13年) - 矢板武とともに那須開墾社を設立、同社社長となる。
- 1885年(明治18年) - 那須疏水開削を実現する。
- 1888年(明治21年) - 現在の那須塩原市三区町の自宅にて死去。
- 1918年(大正7年) - 従五位を追贈された[1]。
その他
- 那須塩原市の烏森神社に印南丈作頌徳碑が建立されている。
出典
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.46
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