選挙人論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 23:27 UTC 版)
「1876年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「選挙人論争」の解説
フロリダ州(4票)、ルイジアナ州(8票)およびサウスカロライナ州(7票)はティルデンを支持する開票結果を報告したが、それぞれの州の選挙結果は共和党投票者に対する不正行為と暴力による脅しで彩られていた。論争点の一つは投票用紙のデザインを巡るものだった。当時各党は記名投票で投票者に自分達を支持させるように投票用紙を印刷していた。文字の書けない投票者のために各党は投票用紙に記号を印刷した。しかしこの選挙では多くの民主党の投票用紙には共和党の象徴としてエイブラハム・リンカーンを印刷していた。共和党の支配的な州の選挙委員会は十分な数の民主党票を認めず、その選挙人票をヘイズに与えた。 南部の3州では合衆国に認められた知事が共和党の証明書に署名した。フロリダ州の民主党証明書は州の検事総長と新しい民主党知事が署名していた。ルイジアナ州のものは民主党の知事候補者によるものだった。サウスカロライナ州のものは州の役人によらず、単にティルデンの選挙人が一般選挙で選ばれたと主張し、選挙管理委員会に拒否されていた。 一方、オレゴン州では、一人の選挙人だけが論争になった。全州での結果は明らかにヘイズを支持していたが、州の民主党知事ラファイエット・グロバーは、その選挙人の前郵便局長ジョン・ワッツが「委託された職にある人でありすなわち合衆国の元で利益を得る人であるために、憲法の第2条第1節の不適格者と主張した。グロバーは続いてワッツの代わりに民主党の選挙人を入れ替えた。2人の共和党選挙人はグロバーの行動をはねつけて、それぞれがヘイズに3票と報告したが、民主党の選挙人C・A・クローニンは1票がティルデン、2票がヘイズと報告した。2人の共和党選挙人は州務長官の署名がある証明書を提出した。クローニンと彼の指名した選挙人2人は知事の署名があり州務長官によって証明された証明書を使った。最終的にオレゴン州の3票ともにヘイズに与えられた。 ヘイズは選挙人投票で1票の差で過半数を得た。民主党は不正の叫びをあげた。抑圧された興奮が国中を覆った。ヘイズは決して就任できないというような脅しが囁かれた。グラント大統領は密かにワシントン周辺の軍隊を強化した。 憲法では「上院の議長が上院、下院各議員の出席の前で全ての選挙人証明書を開封し、続いて集計されること」と規定していた。ある共和党員は、集計する権限は上院議長にあり、上院、下院の各議員は単に見ているだけだと主張した。民主党は、共和党の上院議長フェリーは論争のある州の票をヘイズにカウントできるので、この解釈に反対した。民主党は、異論のある票は両院の同意がある場合を除きカウントされるべきではないという1865年以来の慣習を議会は続けるべきだと主張した。下院は民主党が強く、一つの州の票を棄てることでティルデンを選出することができた。 前例の無い憲法の危機に直面して、1877年1月29日、合衆国議会は15人の委員からなる選挙委員会を作り、問題を決着させる法律を通した。両院から5人の委員がそれぞれ選ばれ、最高裁判所の5人の委員と合流した。ウィリアム・M・エバーツが共和党の助言者を務めた。1877年の妥協は民主党にこの選挙委員会も認めさせる力があった可能性がある。 各院の多数党が3名を指名し少数党が2名を指名した。共和党が上院を支配しており、民主党が下院を支配していたので、委員は共和党5名、民主党5名となった。最高裁判所の判事の中で、2名は共和党員、2名は民主党員が選ばれ、5人目はこれら4人が選出した。 判事達はまず政治的に独立なデイビッド・デイビス判事を選んだ。ある歴史家に拠れば、「だれも、おそらくはデイビス自身ですら、どちらの大統領候補を好むか知らなかった」。選挙委員会法案が議会を通過したときに、イリノイ州議会はデイビスを上院議員に選んだ。イリノイ州議会の民主党員は、デイビスに投票したことでその支持を得られたと信じた。しかし、彼らは計算違いをしていた。最高裁判所に留まって選挙委員会で務める代わりに、デイビスは直ぐに上院議員となるために判事を辞任した。残っている判事は全て共和党員だったので、すでに選ばれていた4人は、残りの判事の中で最も偏りのないと考えられるジョセフ・P・ブラドリーを選んだ。この選択が行方を左右するものになった。 就任宣誓式の日が間近に迫っていた。委員会は1月の末日に集まった。フロリダ州、ルイジアナ州、オレゴン州およびサウスカロライナ州の問題は議会から提出された状態の継続であった。著名な助言者が両陣営に現れた。指名された州のどこからも2重の開票結果が出ていた。 委員会は最初に「明らかに」合法な開票結果は振り返らないことを決めた。ブラドリーが他の7人の共和党委員に与し、一連の裁決は8対7という結果になり、論争のあった選挙人票20票全てをヘイズのものとし、ヘイズは選挙人選挙を185対184で制した。3月2日に委員会は閉会し、3日後にヘイズは妨害もなく就任した。 委員会に認められた開票結果では、サウスカロライナ州におけるヘイズの勝利を889票差としており、合衆国の選挙の中でも2番目に接近した結果となった。なお最も接近した結果は2000年アメリカ合衆国大統領選挙のフロリダ州における537票差であった。
※この「選挙人論争」の解説は、「1876年アメリカ合衆国大統領選挙」の解説の一部です。
「選挙人論争」を含む「1876年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事については、「1876年アメリカ合衆国大統領選挙」の概要を参照ください。
- 選挙人論争のページへのリンク