運行の縮小と若干の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 10:13 UTC 版)
「IRTフラッシング線」の記事における「運行の縮小と若干の改良」の解説
1942年にIRT2番街線の運行が終了し、コロナ線の車両の大規模な修理はコニー・アイランド工場に移管された。これに加えて、1942年6月13日(2番街線の運行がクイーンズボロ橋の連絡を含めて終了した時点)から1955年5月12日(3番街線の運行終了時)まで、IRT3番街線との無料の乗換がグランド・セントラル駅でできるようになった。1949年秋には、BMTとIRTの合同運行協定が終了し、フラッシング線の運行はIRTが担当することになった。アストリア線はプラットホームが削られて、BMTの列車専用となった。このために、当時8本の番線があったクイーンズボロ・プラザ駅を通る経路は集約され、後に北側半分の構造物は取り壊された。取り壊されたプラットホームの痕跡は、この地域に乗り入れる線路だけでなく、駅の鋼製構造物にもなお見ることができる。 11両編成が発着可能な特に長いプラットホームも、共同運行をしていた時期の名残である。しかし、フラッシング線のこれ以外の駅は当時は9両編成のみの対応であり、1950年代に11両編成に対応するために拡張された。 1957年に列車識別・自動進路制御 (IDENTRA)がフラッシング線に導入され、1997年まで使われていた。1997年にB1アストリア線および緩行・急行選択ボタンを備えた進路設定装置がクイーンズボロ・プラザ駅の上層階の10両・11両編成目標位置に設置された。IDENTRAは、取り外し可能な円形の無線アンテナ装置を使い、1948年から路線に導入されていたR12型車両(英語版)、R14型車両(英語版)、R15型車両(英語版)およびR17型車両(英語版)の前部に設置された小さな取付金具にスライドさせて取り付けていた。仕組みとしてはCBTCで使われている無線トランスポンダーとよく似ており、小さな箱型の進路設定スイッチで列車種別(各駅停車または急行)を設定しておくと、無線アンテナからの信号でクイーンズボロ・プラザ駅およびフラッシング-メイン・ストリート駅近くの分岐器が所定の向きに転換されるようになっていた。これにより路線上の信号扱所の数は10から2に削減された。このシステムは、南東ペンシルベニア交通局のブロード・ストリート線(英語版)など多くの都市交通でなお使用中であり、取り外し可能な円形アンテナがトイレの便座に似ていることから「便座」などとあだ名をつけられている。
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