運慶作とする説がある作品とは? わかりやすく解説

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運慶作とする説がある作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:10 UTC 版)

運慶」の記事における「運慶作とする説がある作品」の解説

運慶の作とするには確実性を欠くものや、運慶派の流れをくむ鎌倉期仏師作品として文化財指定されているものに次のものがある。 奈良東大寺俊乗堂 俊乗上人俊乗房重源坐像国宝) - 建永元年1206年)。造像に関する直接史料がないが、「元亨釈書」などの後世資料やその作風から運慶の作とする見方がある。 奈良興福寺 四天王立像国宝) - もと興福寺南円堂安置され、同寺中金堂移動した四天王像。本来の安置堂宇について諸説があるが、北円堂無著世親像と同じく珍しくカツラが材に使われていることなどから、興福寺北円堂の旧像とする説がある。とすれば運慶指揮下に運慶子息4人が分担して持国天湛慶増長天康運広目天康弁多聞天康勝制作した像に該当することになる。 神奈川瀬戸神社 舞楽面重要文化財) - 建保7年1219年)頃。社伝では源頼朝または源実朝所用で、北条政子寄進とされる裏面運慶作の追銘があり、作風運慶極めて近い。 伝・浄瑠璃寺京都府旧蔵 十二神将像重要文化財) - 建暦2年1212年)頃か。東京国立博物館(辰神・巳神・未神・申神・戌神の5躯)と静嘉堂文庫美術館子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神の7躯)に分蔵鎌倉時代初期運慶周辺の有力仏師の作であることには諸家の説が一致する像高3尺に満たない小像ながら本格的な寄木造とし、布貼下地彩色を施す入念作であること、浄瑠璃寺運慶とゆかりの深い興福寺末寺であったことなどから、本群像運慶その人の作とみなす研究者もいる。『絵画叢誌7号1882年)、『國華109号(1898年)、同誌116号(1899年)など明治時代の文献には「運慶作」とされている。明治35年1902年11月22日付の『毎日新聞』に、十二神将のうちのいずれかの像の胎内に「上坊別当筆、大仏師運慶」の銘があるとの記事があることが、2012年再発見された。ただし、解体修理等によって当該銘記確認されわけではない2017年には、12体のうち亥神像胎内運慶没後5年安貞2年1228年とみられる墨書存在することが確認された。 大威徳明王称名寺光明院俊乗房重源上人坐像東大寺木造仏頭興福寺、旧西金堂本尊) 大日如来真如苑真澄寺大日如来光得寺金剛峯寺八大童子当初像は6体)のうち、左から恵光童子制多迦童子矜羯羅童子 金剛峯寺八大童子当初像は6体)のうち、左から恵喜童子清浄比丘、烏倶婆誐童子

※この「運慶作とする説がある作品」の解説は、「運慶」の解説の一部です。
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