貴族院改革案をめぐってとは? わかりやすく解説

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貴族院改革案をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)

徳川家達」の記事における「貴族院改革案をめぐって」の解説

その後批判が高まる清浦内閣解散総選挙踏み切り総選挙後護憲三派による加藤高明内閣発足した加藤内閣貴族院中心内閣対す倒閣運動結果成立した政権であるため、加藤内閣下では貴族院改革議論本格化始めた。しかし貴族院側は院内での自発的改革志向する議員多く加藤内閣への反発強めていった。1924年10月10日加藤内閣内閣部局内に貴族院制度改善調査委員会設置し、その調査補助委員貴族院議員から選出しようとしたが、家達謝絶した新聞報道によると加藤内閣側は改革案を貴族院権限貴族院組織に関する事項大別し権限に関する事項憲法に抵触しない範囲議会法改正によって行うとしていたが、河井は「其条項ハ少キカ如シ」と書いており、家達も同じ意見だったと思われる1925年大正14年3月10日貴族院改革案が貴族院提出され貴族院本会議では加藤高明によって法案提出説明が行われ、ついで議員からの質疑があり、その後改革案は特別委員27名に付託されることが決定された。貴族院における特別委員選定議長指名一任されるのが慣例となっていた。しかし研究会交友倶楽部は「近時徳川議長が兎もすれば政府の肩を持つ嫌ひあり」として「議長一任」による特別委員会指名加藤内閣寄りなるとし反対し、院内四派(研究会公正会交友倶楽部茶話会)が共同貴族院改革のような重大事案は議場選挙によって特別委員決定すべしと要求近衛文麿公爵研究会代表してそれを家達伝えたが、家達はこれを拒否した。しかし特別委員倍数候補者の中から選定することを近衛返答した。つまり各派協議により規定人数の倍の特別委員候補名簿を作らせ(今回ケースでは54名)、その中から家達が選ぶということである。家達佐佐木に「議長は特に不公正なことはやらない誰が見てもそうだと思う人選をするのだからよいじゃないか」と述べており、これを聞いた佐佐木家達各派からの干渉をよほど嫌がっていると感じた家達これまで当然に行われてきた特別委員議長一任が突然各派から批判向けられたことに戸惑いを隠すことができない様子だったという(佐佐木にも明らかにたように家達にはこれまで公正な人選をしてきたという自負心があった)。特別委員指名を持つことは家達貴族院議員たちに対す権力の源であったからそれが揺らぎかねない事態であり河井日記で「嗚呼」と嘆いている。 結局改正案特別委員会若干修正施した3月25日議決され本会議委員会報告通り修正可決となったこれまで貴族院議長として内閣貴族院融和図り議会政治裏面から支えてきた家達だったが、貴族院内の院内会派本格的に政党化」しはじめる中で対応に苦慮していくことになる。

※この「貴族院改革案をめぐって」の解説は、「徳川家達」の解説の一部です。
「貴族院改革案をめぐって」を含む「徳川家達」の記事については、「徳川家達」の概要を参照ください。

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