貴族院復帰後
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18代男爵ウィリアム(1776–1846)の代にカトリック解放が行われて、彼も貴族院に復帰を果たした。彼の祖母はハワード家の人間であったことから、彼の孫の代に遠縁の爵位継承がなされることとなる。 すなわち、ウィリアムの孫にあたる20代男爵アルフレッド(英語版)が1878年の貴族院裁定を受けて、1世紀近く保持者不在となっていたモウブレー男爵・セグレイヴ男爵位の継承者に確定した。 その子の21代男爵チャールズ(1867–1936)はさらにモウブレー男爵家がかつて保持していたノーフォーク伯爵位(Earl of Norfolk、1312年創設のイングランド貴族爵位)に関しても爵位回復の請願を行ったが、こちらは1906年に貴族院特権委員会によって拒否された。 その孫にあたる23代男爵チャールズ(1923-2006)は保守党の政治家で、1967年から1980年にかけて侍従たる議員(英語版)を務めた。また、1999年の貴族院法制定以降も貴族院に引き続き籍を置いていた。 その23代男爵の孫にあたる25代男爵ジェイムズ(1991-)が男爵家現当主である。 ストートン家は代々ストーヘッド(英語版)に邸宅を構えていたが、1717年に銀行家ヘンリー・ホア(英語版)に邸宅・地所ともに売却した。現在、ストーヘッドに残る邸宅はホア家によって建てられたものである。続く邸宅として、17代男爵チャールズが1805年にアラートン城(英語版)を購入、1807年には自邸内にカトリック様式の礼拝堂を建てている。1983年にジェラルド・ロルフ医師が買い取るまで一族の居城であった。 男爵家の紋章に刻まれるモットーは『我、王家に生涯の忠節たらん(Loyal Je Serai Durant Ma Vie)』。
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