計画立ち上げ
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MUSES-C(初代「はやぶさ」)の打ち上げ以前から小天体探査フォーラムなどで後継ミッションについて非公式に検討が続けられており、当時は「ポストMUSES-C」、「はやぶさ」打ち上げ後は「ポストはやぶさ」と呼ばれていた。「はやぶさ」打ち上げ翌年の2004年には小天体探査ワーキンググループが発足して、より詳細な検討が行われた。この当時は1機または2機の探査機をスペクトル既知の複数の小惑星に送り込む「マルチランデブー&サンプルリターン」や「ファミリーミッション」と呼ばれる大掛かりな案もあった。そして、「はやぶさ」が地球近傍小惑星イトカワの精密な科学観測を行い目覚しい成果を上げたことを受けて、JAXA宇宙科学研究本部(ISAS:後の宇宙科学研究所)内で本格的に次期小惑星探査計画が持ち上がった。2005年の第5回宇宙科学シンポジウムの時点では、次期小惑星サンプルリターンの構想として3つの候補が考えられていた。そのうちの1つは2012年にC型小惑星である 1998 KY26 に向けて打ち上げ、2017年の地球帰還時のスイングバイでさらに 2003 YN107 へ向かい、2019年に2個目のカプセルが地球帰還という計画案だった。しかし2006年初、後にリュウグウと命名される 1999 JU3 が探査目標に選定された。 はやぶさは当時、様々な故障を抱えていて地球へ帰還できる可能性は決して高くない状態にあり、アメリカ航空宇宙局 (NASA) が検討を開始したOSIRISミッションなど他国の追い上げも厳しい中、小惑星探査の分野での世界トップを維持できなくなるという危機感から、はやぶさ関係者からは後継機の早期の打ち上げが切望されていた。そこで、「はやぶさ」の再挑戦ミッションとして「はやぶさ2」の計画が立てられ、それまで検討されてきた「ポストはやぶさ」は「はやぶさMk2(英語版)」と改称して区別することとなった。 2007年に計画は月・惑星探査推進グループ (JSPEC) に引き継がれ、2010年から2012年の打ち上げを目標に検討が進められたものの、JAXA全体でプロジェクトを積極的に推進するとの意思統一はなされず、計画は遅々として進まなかった。2007年度の予算折衝では、「はやぶさ2」計画側は5億円を要求し、財務省や文科省も数億円程度の予算をつけることを提案したが、JAXAはこれを退け予算は5000万円に留まった。これは情報収集衛星計画やISSのきぼうの打ち上げ、運用、物資補給などの負担も従来の予算内で行っており、予算の都合から太陽系探査は後回しにされている現状を示している。
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