西村家
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奈良県香芝市、大阪府堺市 父・栄一(政治家・民社党第2代委員長) 1904年(明治37年)3月生 - 1971年(昭和46年)4月没。「西村栄一」を参照 母・秀子(音楽家東儀哲三郎の二女) 1909年(明治42年)1月生 - 2002年(平成14年)12月没。洗礼名マリア。 東儀家は、宮中の雅楽を伝える家であった。大陸からの渡来人・秦氏の末裔という。秀子は東京神田三崎町に生まれた。秀子の父哲三郎は洋楽のヴァイオリンを専攻し東京音楽学校でヴァイオリンを教えていた。秀子もピアニストを目指した。父親の哲三郎のヴァイオリンと二女秀子のピアノでベートーヴェンのクロイツェルソナタを演奏できた。秀子は評論家の俵孝太郎の妹のピアノの家庭教師をしたことがあったが、俵はその著書で「東儀秀子さんは、その当時和服やモンペだけの時代に洋服姿で颯爽と現れた」と書いている 兄・勇三(画家) 1945年(昭和20年)8月 - 2008年(平成20年)9月没 早産のために小児麻痺の障害を持って生まれた 妻(弁護士、税理士、政治家岡沢完治の娘) 2男1女 長男の林太郎は2008年(平成20年)1月9日、衆議院新赤坂宿舎20階の西村の部屋から転落死。この件に関して、西村は旧知の記者を通じて「強いうつ病の症状があり、前日に慶應義塾大学病院の医師の診察を受けており、当日も同病院まで連れて行く予定があった」との手記を発表した。学習院大学法学部を卒業し、大阪府堺市内の自宅で弁護士を目指して司法試験の勉強をしていたが、2度失敗。司法浪人生活をやめ、都内の出版社で働き始め、上京したばかりだった。 次男の日加留(ひかる)は自衛官を経て2017年9月の大阪府議補選(堺市堺区選挙区)に自民党公認・日本のこころ推薦で出馬したが落選。2019年4月の大阪府議会議員選挙(堺市堺区選挙区)に自民党公認で出馬し初当選。 いとこ・西村章三(政治家)「西村章三」を参照
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西村家
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(奈良県香芝市、大阪府堺市) 前妻・幾子(兼松龍平の妹) 大正13年(1924年)1月、兼松幾子と結婚。西村が結婚したのは21歳の年であり、幾子は1つちがいの20歳であった。随分早婚であった。幼いときから信仰の好きだった幾子は天理教に入信した。西村と離婚した後、西村の秘書をしていた鎌田勝太郎と再婚した。 後妻・秀子(音楽家東儀哲三郎の娘) 長男・重剛(自衛官)…前妻との間の子 長女・和子(医師)…前妻との間の子 二男・力(つとむ)…前妻との間の子 三男・勇三(画家)…後妻との間の子 四男・眞悟(弁護士、政治家)…後妻との間の子 甥・章三(政治家)
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