裁判の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 01:12 UTC 版)
この裁判所の目的は、設立4周年記念講演でハインリヒ・パリジウス裁判官が述べたように「裁判することではなく、国家社会主義の敵を抹殺すること」であった。1942年7月22日に、国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは裁判官を前に「判決が合法的であるか否かは問題ではない。むしろ判決の合目的性のみが重要なのである。(中略)裁判の基礎とすべきは、法律ではなく、犯罪者は抹殺されねばならないとの断固たる決意である。」と演説しており、1942年8月に長官に就任したローラント・フライスラーは、ヒトラーに宛てた書簡で、心構えを「今後、閣下ご自身の分身として、閣下のお考えに沿う通りの判決を下すよう絶えず努力する所存でございます」と書いている。公判において、被告人に弁解の機会はほとんど与えられず、裁判官自身が被告人の人格を罵倒し、責めたてることもしばしばであった。 この裁判所ではヒトラー暗殺未遂や、白いバラ運動といった著名な事件の被告人も多くこの裁判所で裁かれている。単なる政治犯にとどまらず、"ナチス・ドイツへの反逆者"は勿論のこと、ナチスドイツの第二次世界大戦での勝利に疑いを持つ言動をした者とみなされた人物は数多くこの裁判所で裁かれることになった。この裁判所で取りあつかわれる犯罪は"民族に対する罪"としてあつかわれ、死刑を含む厳罰が被告に対して数多く下された。いわば、人民法廷はナチスに反逆する者を合法的に抹殺する装置になっていた。 人民法廷の判決の推移年度被告人数死刑終身刑重懲役軽懲役無罪15〜20年10〜15年5年以下1937年 618 32 31 76 115 101 99 52 1938年 614 17 29 56 111 91 105 54 1939年 470 36 22 46 100 89 131 40 1940年 1091 53 50 69 233 416 188 80 1941年 1237 102 74 187 388 266 143 70 1942年 2572 1192 79 363 405 191 183 107 1943年 3338 1662 24 266 586 300 259 181 1944年 4379 2097 15 114 756 504 331 489
※この「裁判の実態」の解説は、「人民法廷」の解説の一部です。
「裁判の実態」を含む「人民法廷」の記事については、「人民法廷」の概要を参照ください。
- 裁判の実態のページへのリンク