裁判の検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:24 UTC 版)
この裁判には疑問が多いことから、19世紀後半から検証が行われた。第1の大きな疑問は、1616年の判決が2種類あり、内容がまったく逆であること、第2には、『天文対話』の発刊にはローマ教皇庁から正式の許可があったにもかかわらず、発刊をもって異端の理由とされたことである。 Giorgio di Santillanaらによれば、有罪の裁判記録そのものが、検邪聖省自身が偽造したものであった。もちろんこれをただちに信じるわけにはいかないが、無罪の判決文が無効という証拠がいまだ見つからないことと、第2の理由もこれにより説明がつくことから、署名のない有罪の判決文は偽造であるという考えが強くなっている。ただし、この1616年の有罪の判決文が偽造であるという説については、偽造した者が誰なのかいまだにわかっていないということもあり、ただちにこれを認めることはできないという主張がある。 このほか、次のような説もある。 そもそも、1616年の裁判は存在しない。これは、当時ガリレオは告発も起訴もされていないということを根拠にしている。この説に基づくと、ベラルミーノがガリレオを呼び出したのは、今度、地動説を禁止する布告が出るということをガリレオに伝えるためであった。その後、ベラルミーノがガリレオを呼び出し、何らかの有罪判決を下したという噂が広まったため、困ったガリレオがベラルミーノに無罪の判決文(正確には、ガリレオは何の有罪の判決も受けていないという証明書)を作ってもらったという。 1616年の裁判の署名のない有罪の判決文(らしきもの)は、ベラルミーノが判決を言い渡したときに、同席した者がベラルミーノの口頭での発言を記述したもので、同席者がいたことはガリレオも認めている。ただしこの説でも、記述した者の名が明らかでない。また、担当判事の署名がない以上、有効な文書でないという事実にかわりはない。 1616年の裁判の署名のない有罪の判決文(らしきもの)は、裁判のなりゆきに合わせてあらかじめ用意されたもので、あとはベラルミーノの署名を書き足すだけで有効になるよう、先に作られていたものだった。しかし、結局ガリレオは有罪とならなかったため、この文書にベラルミーノの署名はされなかった。ただし文書はローマ教皇庁に残され、第2回の裁判で証拠とされた。 ガリレオ自身、敬虔なカトリック信徒でありながら、哲学や宗教論から科学を分離することを提唱し、教会の権威に基づいた科学的理論を否定していた。これが結果的にはガリレオを異端者として扱う根拠になったとされる。実際、ウルバヌス8世はガリレオを当初は支持していたが、ガリレオが研究を重ね宗教論に基づかない科学的理論を広めるようになると、掌を返したかのようにガリレオを非難するようになった。ガリレオを有罪とするようにウルバヌス8世が直接命令を下したとも言われている。
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