被買収私鉄払い下げ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 14:44 UTC 版)
「鶴見臨港鉄道」の記事における「被買収私鉄払い下げ運動」の解説
「戦時買収私鉄」、「南武線#歴史」、および「青梅線#歴史」も参照 1943年(昭和18年)7月1日に鉄道全線が国有化され、国鉄鶴見線となった。この際の事情について、会社側や親会社の東亜建設では「国家総動員法の発令により強制買収された」と説明している(「戦時買収私鉄#概説」も参照)。鉄道省の担当者からはこのとき「大東亜戦争が終結した後には買収路線を元の会社に戻す」という「口約束」を受けていた。そこで終戦後の1946年(昭和21年)頃から、この約束の履行を求めて同じ浅野財閥由縁の南武鉄道(現・JR南武線)、青梅電気鉄道、奥多摩電気鉄道(現・JR青梅線)と共に被買収私鉄払い下げ運動を行った。 当初は南武鉄道が運動を主導したが、これは南武、青梅、奥多摩の3社が合併して「関東電鉄」を結成するという構想の中心を南武鉄道が担ったためであった。その後は鶴見臨港鐵道が主導権を握り、1947年(昭和22年)に「被買収鉄道還元期成同盟会」へと発展する。払い下げが実現した際には鶴見臨港を加えた4社で合併し「関東電鉄」を発足させることにしていた。 公共企業体日本国有鉄道が発足する直前の1949年(昭和24年)には、鉄道還元法案が国会に提出され、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。その2年後の1951年(昭和26年)、同様の法案が再度国会に提出されたものの、今度は衆議院でも審議未了廃案になり、被買収私鉄払い下げ運動は終わった。 これにより1950年代には、南武鉄道も陸上交通事業の継続を断念し、1954年10月に傘下の立川バスを小田急電鉄に売却した(詳細は「立川バス#沿革」を参照)。また青梅電気鉄道の傘下であったバス事業者の奥多摩振興は、1956年に京王帝都電鉄の傘下に入り、1963年西東京バス発足時の3社合併の際には合併主体として法人の母体となった(詳細は「西東京バス#沿革」を参照)。 被買収私鉄払い下げ運動の終了後は、2006年(平成18年)4月の京浜急行電鉄による川崎鶴見臨港バスの完全子会社化に伴い株式交換に応じ、鶴見臨港鐵道は陸上交通事業から完全に撤退。有力マリコンとなった東亜建設の下で、矢向延長線の用地として買収済みだった鶴見駅西口周辺の土地を活用する不動産業に特化していった。
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