英雄戦争後のアラニアとは? わかりやすく解説

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英雄戦争後のアラニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:16 UTC 版)

パーン (ロードス島戦記)」の記事における「英雄戦争後のアラニア」の解説

当時アラニアは、アラニア王を僭称するラスター公爵王位請求者であるノービス伯爵アモスン激しく対立していたが、そもそも兄である国王一家暗殺したラスター公と拮抗している時点で、対抗馬アモスン伯がどのような人物かは知れている。要する双方共に人望無く、国を纏める力量欠けていたので、だらだら内戦続いてしまったのであるパーン故郷であるザクソン中心として北部一帯自治化したのも、どちらに与して無能な指導者戴くことを住民嫌ったからである。そして、その中心に居たのが「北の賢者」と呼ばれるようになったスレインであり、その後継いだ弟子セシルであったロードス島を含む現在のフォーセリアは「剣の時代」であり、指導者戦士騎士あるべきという慣例がある。そのため、魔術師であるスレインは、アラニア指導者に適す戦士求めていた。そして気心知れており、ザクソン出身であり、高い人望備えていたパーン最適任者であったまた、農村部(及び農村出身兵士達)に圧倒的な影響力を持つマーファ教団神官戦士団と、数千屈強な戦士団擁するドワーフの「鉄の王国」が後ろ盾となっていたことから、北部義勇軍立ち上げれば、内戦続ける両勢力武力排除することも、その気になれば実現可能な状況であった。 そのためスレインは、パーンフレイム訪れた際、カシュー王パーンアラニア国王推すのを受けて積極的に賛同し、かなり強硬に説得試みている。この時カシューは、フレイム王国後ろ盾となってアラニア内戦終結させよう考えていた。パーンから「傀儡にするつもりか」と問われカシューは、「そこまで姑息ではないし、お前がそれを認めるとも思っていない」と否定している。これは、同盟国である聖王国ヴァリスが、マーモによって一部国土占領されたため国力低下し新国王選に伴い混乱収まりつつあるといっても、とてもロードス為に戦え国家」では無くなっており、パーン治め新生アラニア王国フレイム盟友となってくれる事を願ったためである。 ただ、かつては王になる夢を持っていたパーンも、この頃には王になる意思はほぼ無くなっており、最後まで承諾しなかった。なおディードリットは、エルフである自分に気を使いパーン王位固辞しているのではと一人真剣に悩んでいたが、それは杞憂であることを後にパーン本人ディードリット説明している。

※この「英雄戦争後のアラニア」の解説は、「パーン (ロードス島戦記)」の解説の一部です。
「英雄戦争後のアラニア」を含む「パーン (ロードス島戦記)」の記事については、「パーン (ロードス島戦記)」の概要を参照ください。

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