アラニアとは? わかりやすく解説

アラニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 05:28 UTC 版)

ロードス島戦記」の記事における「アラニア」の解説

首都アラン王城はストーン・ウェブ。ロードス島北東部位置する建国から400年以上と現存するロードス国家中では最古の歴史誇り千年王国ミレニアム)と称せられる大国北西部ヴァリスフレイム南部カノン国境接し北部マーファ大神殿ドワーフの「鉄の王国」がある。南西部国境には、近年まで通行不可能だった帰らずの森」が広がっている。 精強騎士団擁し、更に騎士団以上と噂されレンジャー構成され遊撃隊と銀蹄騎士団呼ばれる魔法戦士隊(魔法戦士はアラニア独自の特別な騎士モスで言う所の竜騎士のようなもの)の二大部隊を有する軍事大国でもある。 ロードス島唯一の魔術師ギルドである「賢者学院」があり、安定した国情背景古くから古代語魔法研究が盛んであったが、英雄戦争時の混乱の中、学院から破門されたのを逆恨みしたバグナード報復によって滅ぼされてしまった。 魔神戦争では神出鬼没魔神に対して無為無策終始し逆に民衆を守るためにマーファ神官中核自然発生した自衛団感情的に対立大国ならではの腐敗深刻さ露呈した英雄戦争時では当初カノン国境閉鎖してマーモ包囲網一角担いノービスアモスン援軍としてヴァリス王国派遣したノービスはアラニア第二の都市北西部中心でヴァリス・フレイム方面への交通の要衝)。しかし国王カドモス七世実弟ラスター公爵マーモ唆され野心目覚め兄王暗殺したことで状況急変王都中心に南部支配して国王僭称するラスターと、急遽ヴァリスからノービス戻ったアモスンの間で泥沼後継者争い勃発したことで英雄戦争どころではなくなり、長きにわたる内戦状態となる。 英雄戦争が一応の結末迎えた後もアラニアでは内戦続きパーン出身地ザクソン中心とする北部地域では両勢力から距離を置いた半独立的な自治組織形成された。この自治運動には、この頃「北の賢者」と呼ばれるようになっていたスレインや、セシルなどスレイン弟子たち関与していた。 邪神戦争時にはラスターアモスン討ったことで内戦勝利し、一旦は国内統一した。しかしアモスン遺児・ロベスがフレイム亡命し、自らを大義名分とするアラニア侵攻フレイム国王カシュー要請したカシューもアラニア経由での旧カノン領およびマーモ侵攻目指したため利害一致し、アラニアとフレイム全面戦争勃発した長年内戦続いていたアラニア軍は練度高く大規模な戦い10年ほど絶えていたフレイム軍に大きな打撃与えたが、フレーベウォートという英雄たちがフレイム軍に加勢したこともあってアラニア軍は敗北ラスター国王殺しの罪で処刑され、ロベスII世が即位した国家への帰属意識薄れていたザクソン自治領も、もともとアラニア貴族血筋であったセシル叙爵し、ザクソン伯爵領として併合された。しかし後にセシル王都アラン不可解な死遂げ以降50年以上に亘ってザクソン始めとする北部アラニアは新領主拒否し、再び完全な自治状態になる。

※この「アラニア」の解説は、「ロードス島戦記」の解説の一部です。
「アラニア」を含む「ロードス島戦記」の記事については、「ロードス島戦記」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アラニア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アラニア」の関連用語

アラニアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アラニアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのロードス島戦記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS