若ノ海正照 (1945年生)とは? わかりやすく解説

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若ノ海正照 (1945年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 12:30 UTC 版)

若ノ海 正照
基礎情報
四股名 若岩手 秋夫 → 松田 秋夫 → 迫龍 秋夫 → 迫竜 秋夫 → 迫龍 秋夫 → 松田 秋夫 → 若ノ海 秋夫 → 松田 秋夫 → 若ノ海 正照 → 若ノ海 秋夫 → 若ノ海 正照
本名 松田 秋夫
生年月日 1945年10月25日
没年月日 (1995-03-31) 1995年3月31日(49歳没)
出身 岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市
身長 175cm
体重 126kg
BMI 41.14
所属部屋 花籠部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 前頭2枚目
生涯戦歴 489勝486敗16休(100場所)
幕内戦歴 144勝171敗15休(22場所)
優勝 十両優勝1回
データ
初土俵 1961年5月場所
入幕 1972年7月場所
引退 1978年1月場所
引退後 年寄大嶽→相撲料理店経営
備考
2013年9月9日現在

若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代は身長175cm・体重126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。

来歴

内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇藤ノ川小結羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。

左四つから右上手を引いての寄り、前廻しを取って食い下がるという、地味な相撲を得意とした。その相撲ぶりのせいか、二桁勝利や三賞金星とは縁がなかった。東前頭3枚目まで番付を上げた1974年(昭和49年)3月場所では、7勝8敗と負け越したが8日目に大関貴ノ花上手出し投げで破る殊勲の星を挙げている。

その後、1975年(昭和50年)3月場所で十両に陥落したが、翌年11月場所で再入幕。以降は幕内中位にあったが、1977年(昭和52年)の夏巡業で左足首を脱臼して9月場所を全休したため、再度十両に落ちた。東十両7枚目の地位で迎えた翌11月場所は5勝10敗と大きく負け越し、翌1978年(昭和53年)1月場所では幕下に陥落。当場所の番付発表後に引退し、年寄大嶽大鵬親方から借り受けて襲名した。

引退後は大鵬部屋に移籍し、同部屋付きの年寄として後進の指導に当たった。その後、巨砲の引退、大嶽襲名に伴い1992年平成4年)5月に廃業(退職)。

廃業後は、東京都江東区で相撲料理店「ちゃんこ若ノ海」を経営するとともに、1992年10月5日から1993年(平成5年)4月3日まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説ひらり』に大相撲コーチ役として準レギュラーで出演した。

1995年(平成7年)3月31日、心不全のため東京都渋谷区内の病院で死去。享年49。

子息

若ノ海の没後、長男・一隆(かずたか)及び二男・佳久(よしひさ)が角界入りした。

一隆1977年6月27日 - )は、高校卒業後間もない1996年5月場所に、父と藤ノ川が同期生だった(上述)縁から伊勢ノ海部屋に入門。現役時代は身長177cm・体重123kg。当初の四股名は本名と同じ松田 一隆(まつだ かずたか)だったが、2005年5月場所より勝盛 一隆(かちもり かずたか)の四股名を名乗った。序ノ口の1996年7月場所で序ノ口優勝を遂げるなど当初の出世は順調だったが、最高位は東幕下40枚目(2006年5月場所)に終わり、2009年1月場所を最後に引退。通算成績は在位77場所で251勝252敗29休。父とは異なり押し相撲中心の取り口だった。

佳久1980年6月6日 - )は、高校卒業直前の1999年1月場所に、父が年寄時代の終盤に在籍していた大嶽部屋に入門(同期生には後の68代横綱朝青龍がいる)。現役時代は身長180cm・体重102kg。前相撲のみ本名と同じ松田 佳久(まつだ よしひさ)を四股名としたが、新序ノ口で迎えた翌3月場所より若松鵬 佳久(わかしょうほう よしひさ)の四股名を名乗った。各段優勝歴は無く、最高位は東序二段34枚目(2000年1月場所)に終わり、当場所を2勝5敗で終えたのが最後の本場所出場となり、翌2000年3月場所・翌々5月場所を連続で休場し、2000年5月場所限りで兄に先立ち引退。通算成績は在位9場所で22勝20敗14休だった。

主な成績・記録

  • 通算成績:489勝486敗16休 勝率.502
  • 幕内成績:144勝171敗15休 勝率.457
  • 現役在位:100場所
  • 幕内在位:22場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1972年5月場所。この場所では、同部屋の後輩である関脇輪島が初の幕内最高優勝を果たしている)

場所別成績

若ノ海 正照
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1961年
(昭和36年)
x x (前相撲) 東序ノ口34枚目
3–4 
西序ノ口14枚目
3–4 
西序ノ口5枚目
4–3 
1962年
(昭和37年)
東序二段54枚目
1–6 
東序二段86枚目
4–3 
西序二段61枚目
4–3 
西序二段35枚目
2–5 
西序二段59枚目
5–2 
西序二段14枚目
2–5 
1963年
(昭和38年)
東序二段37枚目
3–4 
西序二段58枚目
3–4 
西序二段75枚目
6–1 
東三段目96枚目
4–3 
東三段目70枚目
5–2 
東三段目34枚目
2–5 
1964年
(昭和39年)
東三段目55枚目
2–5 
西三段目79枚目
5–2 
西三段目43枚目
3–4 
西三段目46枚目
4–3 
東三段目31枚目
5–2 
東三段目4枚目
3–4 
1965年
(昭和40年)
西三段目10枚目
5–2 
西幕下76枚目
4–3 
東幕下70枚目
3–4 
東幕下75枚目
6–1 
東幕下36枚目
3–3–1 
西幕下41枚目
4–3 
1966年
(昭和41年)
西幕下38枚目
3–4 
東幕下44枚目
3–4 
東幕下49枚目
5–2 
東幕下33枚目
3–4 
西幕下39枚目
4–3 
西幕下32枚目
5–2 
1967年
(昭和42年)
東幕下20枚目
3–4 
西幕下23枚目
5–2 
西幕下20枚目
3–4 
西幕下22枚目
4–3 
西幕下18枚目
3–4 
西幕下22枚目
5–2 
1968年
(昭和43年)
西幕下13枚目
3–4 
東幕下16枚目
2–5 
東幕下27枚目
3–4 
西幕下31枚目
5–2 
西幕下21枚目
5–2 
東幕下9枚目
4–3 
1969年
(昭和44年)
西幕下6枚目
4–3 
東幕下4枚目
2–5 
西幕下14枚目
6–1 
東幕下4枚目
3–4 
西幕下6枚目
3–4 
西幕下9枚目
3–4 
1970年
(昭和45年)
東幕下12枚目
5–2 
西幕下6枚目
3–4 
西幕下8枚目
4–3 
東幕下6枚目
3–4 
東幕下9枚目
4–3 
西幕下5枚目
5–2 
1971年
(昭和46年)
東十両13枚目
2–13 
西幕下11枚目
4–3 
西幕下9枚目
4–3 
東幕下7枚目
5–2 
東幕下筆頭
5–2 
西十両11枚目
9–6 
1972年
(昭和47年)
東十両6枚目
6–9 
西十両9枚目
10–5 
西十両3枚目
優勝
12–3
東前頭10枚目
8–7 
東前頭7枚目
8–7 
東前頭5枚目
8–7 
1973年
(昭和48年)
東前頭2枚目
4–11 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭8枚目
7–8 
東前頭10枚目
8–7 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭3枚目
5–10 
1974年
(昭和49年)
西前頭5枚目
8–7 
東前頭3枚目
7–8 
西前頭4枚目
6–9 
西前頭8枚目
8–7 
西前頭5枚目
8–7 
東前頭3枚目
4–11 
1975年
(昭和50年)
西前頭10枚目
2–13 
西十両4枚目
6–9 
西十両9枚目
8–7 
東十両6枚目
8–7 
西十両4枚目
9–6 
東十両筆頭
5–10 
1976年
(昭和51年)
西十両5枚目
8–7 
西十両2枚目
9–6 
西十両筆頭
5–10 
西十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
10–5 
西前頭11枚目
7–8 
1977年
(昭和52年)
東前頭13枚目
9–6 
西前頭5枚目
6–9 
西前頭8枚目
8–7 
東前頭5枚目
6–9 
東前頭9枚目
休場
0–0–15
東十両7枚目
5–10 
1978年
(昭和53年)
東幕下筆頭
引退
0–0–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青葉城 3 3 青葉山 0 1 朝登 0 2 旭國 3 5
安達 1 1 岩下 0 1 巌虎 1 2 大潮 3 5
大錦 4 3 大登 0 1 大鷲 5 2 魁輝 1 3
金城 1 3 北瀬海 3 7 北の湖 0 6 北の富士 0 1
麒麟児 0 2 蔵間 0 2 黒姫山 3 6 高鉄山 1 2
琴風 1 2 琴ヶ嶽 1 1 琴櫻 0 1 琴乃富士 2 1
金剛 4 4 白田山 2 1 大旺 2 2 大受 4 3
大竜川 4 1 隆ノ里 3 1 貴ノ花 1 3 高見山 1 3
玉輝山 0 1 玉ノ富士 0 1 千代櫻 3 0 天龍 6 2
時葉山 3 3 栃赤城 0 1 栃東 5 5 羽黒岩 8 5
長谷川 1 5 播竜山 3 1 福の花 6 1 富士櫻 2 10
藤ノ川 0 1 二子岳 3 5 双津竜 2 1 前の山 2 2
牧本 1 0 増位山 2 10 舛田山 2 1 三重ノ海 4 2
陸奥嵐 4 5 豊山 3 8 吉王山 4 1 吉の谷 3 1
琉王 5 6 凌駕 1 0 若獅子 6 2 若三杉 1 2
若二瀬 2 0 鷲羽山 4 1

改名歴

  • 若岩手 秋夫(わかいわて あきお)1961年7月場所-1964年1月場所
  • 松田 秋夫(まつだ -)1964年3月場所-1966年3月場所
  • 迫龍 秋夫(はざまりゅう -)1966年5月場所-1968年5月場所
  • 迫竜 秋夫(はざまりゅう -)1968年7月場所-1969年11月場所
  • 迫龍 秋夫(はざまりゅう -)1970年1月場所-1970年5月場所
  • 松田 秋夫(まつだ -)1970年7月場所-1970年11月場所
  • 若ノ海 秋夫(わかのうみ -)1971年1月場所
  • 松田 秋夫(まつだ -)1971年3月場所
  • 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる)1971年5月場所
  • 若ノ海 秋夫(- あきお)1971年7月場所
  • 若ノ海 正照(- まさてる)1971年9月場所-1978年1月場所

年寄変遷

  • 大嶽 正照(おおだけ まさてる)1978年1月-1978年3月
  • 大嶽 秋夫(おおだけ あきお)1978年3月-1992年5月(廃業)

関連項目




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