芸術とゲームに関する哲学的な議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:16 UTC 版)
「芸術としてのゲーム」の記事における「芸術とゲームに関する哲学的な議論」の解説
コンピュータゲームは、少なくとも2000年代半ば以降、哲学的美学や芸術哲学の分野で注目されており、芸術に関する伝統的な哲学的問題の文脈でコンピュータゲームを考察する文献が増えてきている。その一つが、「コンピュータゲームは芸術であるか」という問題である。2005年、哲学者のアーロン・スマッツは、雑誌Contemporary Aestheticsに掲載された論考 "Are Video Games Art?" にて「いかなる芸術の主要な定義によっても、多くの現代のビデオゲームは芸術とみなされるべきである」と論じている。また、ニュージーランドの哲学者であるグラント・タビナーの2009年の著書The Art of Videogamesは、芸術の定義自体の問題を解決するために採用されてきた選言的定義やクラスタ説の下で考えた場合、「それらは独自の非芸術的で歴史的・概念的な先例を有しているが、ビデオゲームは議論の余地無き芸術作品と適切な概念的関係にあり、芸術としてみなせる」と論じている。後の論文でタビナーは、このカテゴリーの他の例との存在論的な違いにもかかわらず、コンピュータゲームは哲学者のノエル・キャロルが「マス・アート」と呼んだものの例とみなせるとも述べている。ブリティッシュ・コロンビア大学の哲学者であるドミニク・マキヴァー・ロペスは、コンピュータアートに関する本の中でゲームの特徴的なインタラクティビティは、建築や音楽といった既存の芸術形態と比較して、それぞれが「独自の方法で肯定的な美的特性を実現している」ことを意味するかもしれないと指摘しつつも、コンピュータゲームを芸術の一形態とみなす理由を似たような形で述べている。 芸術としてのゲームに関するこれらの最初の哲学的な説明に続いて、コンピュータゲームは芸術の哲学における確立されたトピックとなり、The Journal of AestheticsやArt Criticismなどの美学の雑誌に頻繁に話題としてに登場し、Oxford Encyclopedia of Aesthetics に独立した項目が設けられ、哲学的美学の選集や著作集に登場している。 多くの文献は現在、コンピュータゲームが芸術であるかどうかという問題から、コンピュータゲームはどのような芸術形態であるかという問題に変わっている。セント・アンドルーズ大学の哲学者であるベリス・ガウトは、コンピュータゲームを「インタラクティブ・シネマ」の一種であると考えている。タビナーとジョン・ロブソンが編集した最近のゲームに関する哲学論考集The Aesthetics of Videogamesでは、数名の哲学者が、ゲームがどのような芸術形態であり、特徴的あるいは独特の芸術的な解釈の仕方を含んでいるかどうかを検討している。本の中の「ビデオゲームを鑑賞する」というザック・ユルゲンセンの章では、コンピュータゲームが芸術であるとするこれまでの哲学的議論が「説得力がある」ことを認めつつも、それらの議論では典型的にゲームプレイが無視されていることを指摘し、「ビデオゲームを芸術作品として研究することの価値は、それらをゲームとして理解することに部分的に根ざしている」と述べている。2020年、ユタ大学の哲学教授であるC・ティ・グエンはGames: Agency as Artを出版し、芸術としてのコンピュータゲームの概念を非電子ゲームのより広い考察の文脈で検討している。
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