聖典関連以外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:03 UTC 版)
フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第II巻第X章では、出エジプト記の第2章10節と11節の間付近に入るエピソードとして「モーセはエジプト軍の指揮官としてエチオピア攻略で活躍し、彼の強さを認めたエチオピアの王女タルビスは和平交渉をして彼の妻となった。」というものが書かれている。 モーセの実在と出エジプトの物語の信憑性は、考古学的知見、歴史的知見、紅海の海底調査の結果、カナン文化における関連する起源神話などから考古学者およびエジプト学者、聖書批評学者の間では疑問視する人々が多い。その他の歴史学者は、モーセに帰せられる伝記の詳細さとエジプトの背景は、青銅器時代の終わりに向かうカナンにおけるヘブライ部族の統合に関わった歴史的、政治的、宗教的指導者が実在したことを暗示していると擁護している。 エジプト側に残るモーセに関する物語と関連するものとして、エジプトの神官マネトによる記録のヨセフスの引用がある。それによれば、アメンホテプ3世が地を清めるためにと皮膚病患者を隔離した際、オサルシフォス(Osarseph)というヘリオポリスの祭司が皮膚病患者の一団の監督者となった。皮膚病患者たちはかつてのヒクソスが首都を置いたアヴァリス(英語版)に収容され、オサルシフォスはエジプトで禁じられているあらゆることを指示し、エジプトで許されているあらゆることを禁じた。さらにヒクソスを国に引き入れてエジプトを再征服し、13年間彼らと統治した。最終的にエジプトの地を追い出されるが、オサルシフォスはモーセの名を名乗る。 この物語は出エジプト記とは異なっているが、いくつかの共通点があり、例えば、エジプトに災いをもたらすモーセという名の宗教指導者が存在したこと、エジプト北方に勢力を持った西アジア系移民が存在したこと、その異分子はヘリオポリス(オン)の宗教指導者と近しい関係を築いていたこと、皮膚病を利用したこと、エジプト人と異なる法を敷いたこと、そしてエジプトの地から出たこと、などが挙げられる。 なお、この話自体はヨセフスの時代の頃それなりに広まっていたものであるが、ヨセフス自身を含む大半のユダヤ人からはこれと結びつけることはモーセを侮辱するものだと考えられており、前述のヨセフスの引用(『アピオーンへの反論』第2章229節)では引用しつつも書き手のマネト(原文は「マネトーン」)たちにレプラ患者と自分たちの先祖を一緒にするなと反論しており、別の著書の『ユダヤ古代誌』(第III巻11章3-4節)ではレビ記13章の記述から引用(一部改竄)しつつも「レプラ患者にこんなに厳しく扱うモーセが患者自身であるはずがなかろう」という趣旨の反論をその後にわざわざ書いている。
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