聖典と聖典とにおけるナスフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
「ナスフ」の記事における「聖典と聖典とにおけるナスフ」の解説
イスラーム初期には、聖典間の取り消しはしていなかった。クルアーン自体は、先行する啓典よりも最も優れた啓典であるとの主張を自己主張するにとどまっていた。10世紀ころから、句の取り消しの概念が啓典と啓典の関係に関しても、学者によって適用されるようになったとされている。 啓典の民という概念は「アフル・アル=キターブ」というクルアーンの言葉を訳したものとされている。しかし正確には「先行した神の啓示、の民」になるとされている。また、高等批評の発展してきた現代にあっては、「聖典」という概念は不明瞭なものとなっているといえる。そのため、聖典どうしの取り消しという概念は、「先行する神の啓示についての取り消し」と解釈することが出来る。
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