聖典における使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:47 UTC 版)
イスラーム教の聖典クルアーンにおいて、バスマラは、全114章中、第9章を除いたすべての章の冒頭に置かれている。地の文では、第27章30節でソロモンからシェバの女王に宛てた手紙のくだりにおいて、手紙文の冒頭に、バスマラが完全な形で現れる。また、第11章43節でノアが皆に方舟に乗るよう呼びかける発言の中でも、不完全な形でバスマラが現れる。クルアーンの地の文でバスマラが使用されるケースは、以上の2回のみである。 ところで、本節におけるここまでの記述では、クルアーン・テクストを分節するにあたって「章」と「節」、「地の文」という用語を便宜的に用いたが、「章」はアラビア語で「スーラ」(序列の意)、「節」あるいは「地の文」は「アーヤ」(見聞しうる表徴の意)という。アーヤは神が預言者を介して人類に伝えたメッセージということになっている。バスマラがアーヤに含まれるか否かという点に関して、20世紀前半頃まではウラマー間で見解の相違があった。ハナフィー派は「含まれない」という説をとり、それゆえに、クルアーン読誦の際にバスマラは発声されなくてもよいとした。ハナフィー派はバスマラとスーラをシンプルに分離し、バスマラは後続するスーラに対する祝祷と考えた。これに対してシャーフィイー派は「含まれる」という説をとり、これは受け継いできた聖典テクストにバスマラが含まれた状態で書かれていることを理由とする。20世紀後半以後は便宜的にシャーフィイー派の見解が採用されることが普通である(例えば、世界中で流通している標準エジプト版クルアーンもバスマラがアーヤに含まれるものとして編集されている。)。
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