タルビス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/01 23:55 UTC 版)
タルビス(Tarbisu、アッカド語:Tarbiṣu)は、古代メソポタミア地方の古代都市(紀元前722年から紀元前612年)。新アッシリア帝国の王位継承者の宮殿があった。センナケリブ、エサルハドン、アッシュルバニパルが王太子時代にここで学び、王位継承に備えた。紀元前614年または613年、新アッシリア帝国が滅ぼされる一連の戦いの中でメディア軍に占領されてからは衰退した。
- ^ a b c Russell 1999, p. 151.
- ^ a b “Iraq Significant Site 099 – Tell Sherif Khan (ancient: Tarbisu)”. アメリカ国防総省. 2020年10月23日閲覧。
(『イラクの主な古代遺跡 099 テル・シェリフ・カーン(古代のタルビス)』) - ^ Elayi 2018, p. 188.
- ^ a b c Boardman et al. 1992, p. 140.
- ^ Joannes 2007, p. 184.
- ^ Joannes 2007, p. 57.
- ^ a b Russell 1999, p. 152.
- ^ Melville 2006, p. 363.
- ^ George 1993, p. 127.
- ^ “ABC 3 (Fall of Nineveh Chronicle) - Livius” (英語). Livius.org. 2020年10月24日閲覧。
(『ABC3 ニネヴェ陥落の年代記』上記ページの和訳) - ^ レイヤードは遺跡のある村の名を「Shereef-Khan」、発掘対象の名を「Tarbisi」と記している。なお、ネルガル神殿については「太陽神の神殿」「マーズか何か他のアッシリアの神」と煉瓦から読み取っていたが、大佐が「ネプチューンかノアではないか」と言っていたとも記している。
Sir Austen Henry Layard (1853) (英語). Discoveries in the Ruins of Nineveh and Babylon: With Travels in Armenia, Kurdistan and the Desert: Being the Result of a Second Expedition Undertaken for the Trustees of the British Museum. J. Murray. pp. 598-599 2020年10月29日閲覧。
(『ニネヴェとバビロンの遺構における発見:アルメニア、クルディスタンと砂漠の旅を含む:大英博物館理事のために実施された第2次遠征の成果』(オースティン・ヘンリー・レイヤード、1853年)p.598~599)
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