群小地方政権アルトゥク朝
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「アルトゥク朝」の記事における「群小地方政権アルトゥク朝」の解説
1124年、スライマーンが没し、アレッポ撤退後マルディンを治めるのみとなったティムルタシュがマイヤーファリーキーンをあわせた。この結果、イル・ガーズィーの子ティムルタシュがマルディンとマイヤーファリーキーンを治め、スクマーンの子ダーウードがヒスン・カイファーとハルトパルトを治める体制となり、以降変動なく両者の後継者へと相続されてゆく。これをもってトゥルクマーン系王朝の分割相続的形態を非常に早い段階で脱却したものとして注目する説もあるが、一方で土着のクルド人の中にあってクルド化が進んだ結果とする評価もある。 ティムルタシュとダーウードは対立関係にあり、ティムルタシュは1127年以降ジャズィーラを支配したザンギーと結び、ザンギーに従って1133年のアーミド包囲戦に参加した。一方ダーウードは北方での勢力拡大につとめグルジアとたびたび交戦している。1144年にダーウードのあとを継いだ息子カラ・アルスラーンを再びザンギーとともに攻めている。カラ・アルスラーンはエデッサ伯ジョスラン2世と連合しザンギー朝と対抗したが、ザンギーの圧力によりエデッサとの和解を余儀なくされた。同年秋ジョスラン2世の遠征中にザンギーがエデッサを包囲、占領。エデッサ伯国は最初に崩壊した十字軍国家になった。ヒスン・カイファーのカラ・アルスラーン政権もザンギー朝の従属国となった。ザンギーのあとを継いだヌールッディーンは対十字軍戦を第一としたため、アルトゥク朝への圧力を弱めて再び友好関係に入り、ザンギーの遠征時に獲得したジャズィーラ北部の領地をアルトゥク朝へ与えた。しかし一方でアルトゥク朝はヌールッディーンの聖戦に巻き込まれ、全体として良好な関係にあった十字軍やビザンツやグルジア(アフラートのシャーヒ・アルマン朝に対しグルジアは一時期アルトゥク朝を保護している)など在地キリスト教勢力との交戦を余儀なくされた。 カラ・アルスラーンは1163年にアーミド攻略をもくろむがダニシュメンド朝の干渉により失敗、息子ヌール・アッディーン・ムハンマドは逆にルーム・セルジューク朝の圧迫に対しダニシュメンド朝へ援軍を派遣している。1174年のヌールッディーンが没し、エジプトからアイユーブ朝のサラーフッディーンの勢力が北上してくる。アルトゥク朝は当初アイユーブ朝に対しザンギー朝とともに対抗する道を選ぶが、その後ムハンマドはアイユーブ朝との同盟に転じ、のちにアイユーブ朝とともに妻の父ルーム・セルジューク朝のクルチ・アルスラーン2世を攻撃した。アイユーブ朝はクルチ・アルスラーン2世との和平協定でアルトゥク朝領域の支配権を得て、ムハンマドに彼らの宿願の地アーミドを与えた。一方で1185年ティムルタシュ系政権のマイヤーファリーキーンが接収され、アイユーブ朝一族が入部し、のちにアフラートに移り、アイユーブ朝地方政権が出現した。ムハンマドの死後、政権はアーミドとヒスン・カイファー、ハルトパルトに分割され、アイユーブ朝の圧力が強まった。 アルトゥク朝はアイユーブ朝を恐れて離反し、ルーム・セルジューク朝、さらにホラズムシャー朝に服属するが、まず1227年にルーム・セルジューク朝の攻撃を受けてユーフラテス北岸を失い、ついで1232年アイユーブ朝のカーミルの再征服でアーミド、ヒスン・カイファーを失った。1234年、再びルーム・セルジューク朝の対アイユーブ朝遠征があってハルトパルトを失い、マルディン政権のみが残された。このときアイユーブ朝地方政権はヒスン・カイファーに移り、同政権はオスマン帝国のアナトリア統一戦前後まで残存する。 マルディンのアルトゥク朝はなお生き残り、モンゴル軍の長期間の包囲ののちフレグに降伏、イルハン朝の属国となり、徐々に勢力を広げた。14世紀イルハン朝が崩壊すると周辺の諸勢力、特にほぼクルド化したアイユーブ朝地方政権と抗争し、さらにマムルーク朝、バグダードのジャラーイル朝、この時期に勃興したカラ・コユンルー部族連合、アク・コユンルー部族連合などと合従連衡を繰り返す。しかしこの地域の状況はティムールの到来によって一変し、ティムール朝に服属したアイユーブ朝とアク・コユンルー部族連合の強烈な圧力を受けた。もはやアルトゥク朝には対抗する力はなく、1409年最後のマルディンの統治者サーリフが領地をアク・コユンルー部族連合に対抗するカラ・コユンルー部族連合のカラ・ユースフに引き渡して滅亡した。
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