群小地方政権アルトゥク朝とは? わかりやすく解説

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群小地方政権アルトゥク朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 10:23 UTC 版)

アルトゥク朝」の記事における「群小地方政権アルトゥク朝」の解説

1124年スライマーン没しアレッポ撤退後マルディン治めるのみとなったティムルタシュがマイヤーファリーキーンをあわせた。この結果、イル・ガーズィーの子ティムルタシュがマルディンとマイヤーファリーキーンを治めスクマーンの子ダーウードがヒスン・カイファーとハルトパルトを治め体制となり、以降変動なく両者後継者へ相続されてゆく。これをもってトゥルクマーン王朝分割相続的形態を非常に早い段階脱却したものとして注目する説もあるが、一方で土着のクルド人中にあってクルド化が進んだ結果とする評価もある。 ティムルタシュとダーウードは対立関係にあり、ティムルタシュは1127年以降ジャズィーラ支配したザンギーと結び、ザンギーに従って1133年アーミド包囲戦参加した一方ダーウードは北方での勢力拡大につとめグルジアとたびたび交戦している。1144年にダーウードのあとを継いだ息子カラ・アルスラーンを再びザンギーとともに攻めている。カラ・アルスラーンはエデッサジョスラン2世連合しザンギー朝対抗したが、ザンギー圧力によりエデッサとの和解余儀なくされた。同年ジョスラン2世遠征中にザンギーエデッサ包囲占領エデッサ伯国最初に崩壊した十字軍国家になった。ヒスン・カイファーのカラ・アルスラーン政権ザンギー朝従属国となったザンギーのあとを継いだヌールッディーンは対十字軍戦を第一したためアルトゥク朝への圧力弱めて再び友好関係入りザンギー遠征時に獲得したジャズィーラ北部領地アルトゥク朝与えた。しかし一方でアルトゥク朝ヌールッディーン聖戦巻き込まれ全体として良好な関係にあった十字軍ビザンツグルジア(アフラートのシャーヒ・アルマン朝に対しグルジア一時期アルトゥク朝保護している)など在地キリスト教勢力との交戦余儀なくされた。 カラ・アルスラーンは1163年アーミド攻略もくろむダニシュメンド朝干渉により失敗息子ヌール・アッディーン・ムハンマドは逆にルーム・セルジューク朝圧迫対しダニシュメンド朝援軍派遣している。1174年ヌールッディーン没しエジプトからアイユーブ朝サラーフッディーン勢力北上してくる。アルトゥク朝当初アイユーブ朝対しザンギー朝とともに対抗する道を選ぶが、その後ムハンマドアイユーブ朝との同盟転じ、のちにアイユーブ朝とともに妻の父ルーム・セルジューク朝クルチ・アルスラーン2世攻撃したアイユーブ朝クルチ・アルスラーン2世との和平協定アルトゥク朝領域支配権得てムハンマドに彼らの宿願の地アーミド与えた一方で1185年ティムルタシュ系政権のマイヤーファリーキーンが接収されアイユーブ朝一族入部し、のちにアフラートに移りアイユーブ朝地方政権出現したムハンマドの死後政権アーミドとヒスン・カイファー、ハルトパルトに分割されアイユーブ朝圧力強まったアルトゥク朝アイユーブ朝恐れて離反しルーム・セルジューク朝、さらにホラズムシャー朝服属するが、まず1227年ルーム・セルジューク朝攻撃受けてユーフラテス北岸失い、ついで1232年アイユーブ朝カーミル再征服アーミド、ヒスン・カイファーを失った1234年、再びルーム・セルジューク朝の対アイユーブ朝遠征があってハルトパルトを失いマルディン政権のみが残された。このときアイユーブ朝地方政権はヒスン・カイファーに移り、同政権オスマン帝国アナトリア統一戦前後まで残存するマルディンアルトゥク朝はなお生き残りモンゴル軍長期間包囲ののちフレグ降伏イルハン朝属国となり、徐々に勢力広げた14世紀イルハン朝崩壊する周辺諸勢力、特にほぼクルド化したアイユーブ朝地方政権抗争し、さらにマムルーク朝バグダードのジャラーイル朝、この時期勃興したカラ・コユンルー部族連合、アク・コユンルー部族連合などと合従連衡繰り返す。しかしこの地域状況ティムール到来によって一変しティムール朝服属したアイユーブ朝とアク・コユンルー部族連合強烈な圧力受けた。もはやアルトゥク朝には対抗する力はなく、1409年最後マルディン統治者サーリフ領地をアク・コユンルー部族連合対抗するカラ・コユンルー部族連合のカラ・ユースフに引き渡して滅亡した

※この「群小地方政権アルトゥク朝」の解説は、「アルトゥク朝」の解説の一部です。
「群小地方政権アルトゥク朝」を含む「アルトゥク朝」の記事については、「アルトゥク朝」の概要を参照ください。

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