罪と罰、贖宥状の効能
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「レオ10世による贖宥状」の記事における「罪と罰、贖宥状の効能」の解説
もともと贖宥状による効果というのは、かなり限定的なものだった。日本語文献では贖宥状を「免罪符」と表現することもあるが、カトリックの本来の教理には「免罪」符は存在しない。免じられるのは「罰」であり、「罪」が無かったことになるわけではない。贖宥状によって赦しが得られるのは、あくまでも教会が信徒に課す罰の範囲に限られていた。 カトリックの教理にしたがうと、人は誰しもが現世で生きていくことによって罪を犯す。その罪に対して神による永遠の罰が与えられる。しかしこれに対して悔悛の秘蹟が行われる。すなわち、聖職者に対して告解(罪を告白)を行い懺悔(悔い改める)する。すると神の現世での代理者である聖職者(教会)を通じて神の恩寵が与えられ、罪が赦免される。帰結として、受けるはずだった神の永遠の罰が回避される。 ただしこの「赦免」の範囲はあくまでも神の罰についてであり、地上における現世での罪の結果が消えるわけではない。そして、告解さえすれば何でも赦されるようだと、人は平気でいくらでも罪を重ねるようになるかもしれない。そのためこの「罪の赦し」を授ける代償として、教会(聖職者)は信徒へ「罰」に相当する償いの行為を課す。 「罰」は、具体的には深い祈り、痛悔のようなものから、巡礼、断食、寄付などの敬虔な現世的な善行の形をとるものまでさまざまであった。これらの「罰」は、現世における犯罪の被害者に対する弁償や補償という性格も備えており、社会を維持する役割も担っていた。そのため、告解とそれに対する罰の内容は、通常は告白者と聖職者の間だけの秘密だったが、犯罪行為によって損害を受けた被害者に対する賠償が伴う場合には公開されることもあった。 例をあげると、教皇の命にしたがってヘイスティングズの戦い(1066年)に加わった騎士は、戦いのあとに告解を行い、そこで戦場で殺した敵1人につき10年の「罰」を与えられた。 もしも存命中にこの「罰」を償いきれずに死んだ場合、死後煉獄に落ちる。人は煉獄で炎に焼かれながら、残った「罰」を清算して浄化されてからでないと、天国へ入る資格は得られない。しかし15世紀に入る頃には、煉獄に行かずに済むような人物など実際にはほとんどいないようになった。しかも、ペストに代表されるように、当時の人々はいつ死んでもおかしくないような日常を生きており、突然の死とその後に来る長い煉獄の苦しみは、当時の人々の恐怖の対象だった。 人々は、教会から与えられ、蓄積された「罰」を巡礼や寄付などを通じて少しずつ償っていく。当初の贖宥状の効能とは、この教会が課す「罰」を「7年」のような一定部分だけ免除する、というものだった。この贖宥の効果はどこから来ているかというと、過去の聖人が積み重ねた功徳が源泉である。彼らは死ぬまでのあいだに、自分自身の「罰」の総和を上回る善行を行ったので、償いが余剰しており、教皇はその余剰を管理して分け与えるのである。 贖宥状の効力は、そのうちにその対象や範囲が拡大されていった。たとえば「断食の免除」や「所有者が不明な財産を取得する許可」なども出されるようになり、贖宥状を束で買うような者も現れるようになった。 シクストゥス4世は、教皇が司る「現世」の中には「煉獄」も含まれるのだという解釈を示し、既に死んでしまった者が煉獄で支払い続けている教会の罰を減らすという贖宥状を発行した。レオ10世が売りに出したのは「ありとあらゆる罪がすべて」許されるというものだった。本来は「罪」と「罰」は別のものであり、贖宥状は「教会の罰」を減じるだけというのが教理であったが、多くの民衆はこうした詳しい教理は理解していなかった。また、後にルターによる問題提起で明らかになっていくのだが、教皇を筆頭に聖職者の多くも、贖宥状販売の実務は知っていても、贖宥に関する教理はよくわかっていなかった。
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